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2004/07/04

信玄最後の戦い(国通)リプレイ

 今回も「聖典」よりの妙録である。このゲームは武田信玄が上洛途上に死ななかったらという架空戦の一つで、20世紀末にリニューアル出版されたゲームであるが種々の欠陥により今ではあまりプレイされなくなった様である。しかし原版の「信玄上洛」に見られたキラリと光るものは継承されていて一部有志により第3版への改訂が進められているという。
 筆者もこのゲームには少なからず思い入れがあるため決してこのゲームを卑下するものではないことを念頭に置いて読まれたい。ただし展開はだいぶん壊れてしまったのでその辺は割り引いて欲しい。
 なお、このゲームは2001年の1月にプレイされ記録されたものである。
 

21世紀である。20世紀最後のゲームはTS氏たっての願いにより、「信玄最後の戦い」であったが、
21世紀最初のゲームはK氏たっての願いによりこのゲームに帰結した。筆者自身はビッグでハードな
「オール・クワイエット・ウエスタンフロント? 」あたりがプレイしたかったが、マップが広げられないなど諸般の問題から取りやめとなった。
 つまり我々の21世紀最初のゲームプレイはは20世紀最後のゲームと同じになってしまった。
前回は筆者率いる武田軍及び反織田軍が、20世紀最後の最大の大ミスで敗北を喫したが、今回は群雄伝キラーのK氏を含め3人戦と言うことで、前回とは全く勝手が違う。また、年頭のゲームという事で記録を詳細にするため各プレーヤーに構想、感想を書いてもらっているので随時織り込んでゆく。
 今回もサイコロでプレイサイドを決定した。一回目のプレイでTS氏が武田、K氏が反織田、筆者が織田であったが、過去プレイした「信玄上洛」の時の役柄と変わらないため筆者が難色を示し振り直すこととした。
その結果、TS氏が織田、K氏が反織田、筆者が武田と言ってみればTS氏と筆者が入れ替わっただけで、K氏に至っては前回とも代わり無しという「戦国大名」に続き、つくづく一揆衆に付きまとわれるという運命であったようだ。
 それはさておき、この「信玄最後の戦い」は「信玄上洛」と比べると武田、反織田方の能力が下がり、
「信玄上洛」で有効だった武田急行が能力的に苦しくなり京都になかなか辿れ付けなくなっている。
しかし短期決戦としての美濃決戦は頼りないとはいえ反織田側の軍勢の殆どが健在であり、抑止戦力としては有効で、吸引される織田方の戦力を差し引いてもイニシアチブを握るという点でも武田側には魅力あ
る策といえる。
 では長期戦略はどうか?
確かに飽和状態のまま織田軍を長期戦に持ち込むことは、確実に相手の疲弊と消耗を意味する。しかし、彼我の能力差はそれを上回るだけの力があり、さらに織田方には京、あるいは堺との連絡線が通る場合、毎ターン勝利ポイントが累積する仕組みになっている。従って能力的に不安な反織田方をも積極的に動かさねばならない。
 幸いなことに今回は反織田方プレーヤーを群雄伝マスターのK氏が率いることになっている。放っておいても頼まなくとも積極的に動いてくれるであろう。武田方の動きもさることながら反織田方の動きが重要であると想定される本ゲームでは責任重大である。ともかく「人生を踏み外している同盟」がどれだけ機能するであろうか?
武田軍の初期構想
 さて、武田方の構想であるが、ハッキリ言って全く閃かない。何というかどう並べてみても前回、ひいては史実と大して変わらない。信濃路と駿河から同時に遠江領に進入する。敵対する徳川家康は我が武田信玄と同じレベルの野戦修正と兵力を持つのでタイミングを間違えると各個撃破される可能性もあるので、当然ながら慎重にする。進入後は浜松城に圧力をかけるように周辺の城を攻める。城攻めの基本は包囲とし、家康が浜松城に籠城する、あるいは退去する場合は、浜松城攻略に切り替える。
 浜松城攻略後は家康の反撃に注意しつつ駿河、信濃からの2本の連絡線が通るように遠江を制圧する。爾後奥三河との連絡線設定として連絡線を2本設定できるようにしたいものだ。
 信濃の秋山隊は美濃に侵攻する勢いを見せながら織田軍の動きを牽制し、本隊の奥三河からの連絡線設定時に積極的に行動し、美濃経由での連絡線設定を主要な行動とする。織田軍が西方同盟軍方面で積極的に活動する場合は美濃長距離侵攻をもって背後より攪乱する。織田軍が攻勢に移転する場合、本隊との合流を画策する。
以上が武田軍の初期構想である。
 どうしても、尾張、美濃にたどり着くまでが、一つのキャンペーンと言えそうで、作戦もそこまでとなってしまうのは致し方ない。
反織田方の初期構想
 K氏率いる浅井・朝倉連合軍& 一揆衆+ 近畿諸将の方々は実のところ選択できる範囲は限られている。例えば浅井朝倉軍は湖北より南に配置できなくなっており、配置のミスによっては致命的な苦戦を免れそうにない。実際どう置くかによって織田軍の対浅井・朝倉戦略が変わる可能性もあるのだ。
なんと言っても今回のリメイクで大きく反響があったのは浅井長政の能力がかなり下げられており、浅井・朝倉軍単独の織田本軍との合戦はもはや死戦と言えるまでの戦力差・能力差があるといえる。
 K氏お得意の迂回戦術もこう能力差があるようでは発揮できない模様であった。
従って彼の配備は従軍メモにある「全体的に消極的な配置だ。」の言葉にも裏付けられるように、防衛戦を意識した配置のようである。
 構想としては長島衆と浅井朝倉衆を軸にして、織田軍にできるだけ妨害と阻止に努め、それを武田軍の支援とすることにあるようである。
織田軍の初期構想
 今回のリメイクで強大化した織田軍は、対する武田軍や反織田軍と比べてもかなり楽な態勢になったと言えるのではないだろうか?
 強力であり、数が増えた徳川軍、部隊数、武将の能力共に増加した織田軍は美濃に三河に近江にと内線の利を得て駆け回るに違いない。
特に佐久間信盛、柴田勝家などの独立して運用できる武将ができたことは織田軍にとって作戦が立てやすくなっている。また、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀等というプチ使える武将がいるのも魅力である。
 それに比べ、武田軍や反織田軍にはプチ使える武将しかいない。まあ、それは当時をあらわしていて正解と言えば正解である。
 そんな織田軍の戦力を背景にしているのか、それとも有利さを証明しているのだろうか? 織田軍の基本方針は簡潔で明瞭である。TS氏のメモによると、
「長島一向宗無力化の後、対武田、浅井朝倉へ」
 まず、全力で獅子身中の虫、長島一向宗を覆滅し、後は状況によって武田軍でも浅井朝倉軍でもどちらでも片付けると言うことである。この際大阪の石山一向宗は無視である。うーん史実的かあ?

朝倉殿御退散涙! (1ターン)
 ゲームスタートである。
このゲームでは戦局が反織田方にシフトすればシフトするほど織田方に不利なイベントが出てくるようになっている。
初期の状態では当然武田方が攻撃を仕掛けたばかりであるので織田方が有利な状況となっている。従って織田方有利の状況から如何に武田方有利に持ってゆくか?
 それは織田方のレベルの高い城を次々に落としてゆき、落城の得点を貯めることにより有利な展開を生むわけだ。織田方の城が落城したという知らせは、世に住む反織田の心ある方々の奮起を促すという仕組みだ。
 地図を見れば明らかな通り、織田方の得点の高い城とは徳川氏の根城である浜松城付近が最も得点源の密集度が高い。得点が高いと言うことは城の堅牢さもレベルが高いという事と同義であり、密集していると言うことは守っている側にとって見れば支援を行いやすいと言うことである。
 従ってできるだけ早期に徳川軍の妨害を排除し、徳川家の城を奪取し、戦略的な優位を生まねばならない。
とは言っても一番最初からそう簡単に城が落ちるわけでもなく、得点は城の占拠が主な得点で、
連絡線を保持すれば貰える得点や、通過すれば貰える得点もある。また失点も存在し、城や武将ユニットの喪失、合戦の敗北などがある。最終的には武田方の得点と織田方の得点差がゲームの勝敗の判定にも使われる。ここで重要なのは城の得点は武田側に限って言えば武田軍のみの得点であり、反織田軍がどれだけがんばって城を落城させようとも得点にはならない。
と、言うことは序盤の得点は武田軍の遠江・三河の諸城を陥落させなければ得られないと言う事であり、
状況が好転するのは少し時間がかかるという事実である。
 逆に織田方の得点は城を落城させる事による得点と、岐阜・京都・堺間の連絡線による得点があり、得点の得やすさから言うと、黙っても得られる得点がある織田方が有利である。
 さて話は前後するが、一番最初に情勢変化フェイズがあるのでその時の得点をもとに決定する。当然一番最初のターンであるので発生する得点は双方無く、得点差は0であるので0~ 4の欄を用いて判定する。
どっちみち反織田方プレーヤーが扱うユニット数や、責任が軽いと言うことから反織田方プレーヤーが決定のダイスを振ってもらうことにした。
 0~ 4の欄では1あるいは6の目が出ると一向一揆攻勢というイベントが発生し、一向一揆衆の活動が活性化する。従って我々武田・反織田プレーヤーの望む目でもある。
 逆に4の目が出ると朝廷を介した織田側の和議交渉となり、反織田プレーヤーの武将が単独で和議を受諾してしまう可能性がある。現状では反織田方の武将は浅井・朝倉しかいないわけでそれも和議交渉表でさらに判定をしなければならないので確率は低いはずであった。
武田プレーヤーとしては当然ダイス振り担当の反織田プレーヤーに「カツ」を入れるべく煽るような言辞を浴びせかける。「お前は1か6しか出したらあかんのや!1か6で織田軍を翻弄したれや! 」
奮起する反織田プレーヤーK氏。
 彼の脳裏には織田領内を疾駆する自分の姿を夢想していたに違いない。
気合い一閃と共に投げられるダイス!
コロコロ....
情勢変化表の結果は「4! 」
 頭を抱えるK氏。しかし、まだ決まったわけではない。必ずしも浅井・朝倉の軍勢が和議を結ぶという訳でもない。まだまだである。
和議交渉表をチェック!
3か5で朝倉軍は和議し、越前へ退却! 2で浅井軍が和睦!
「なんだ。たったの50パーセントやん。2と3と5さえ出さんかったらええんや! 」
俄に重圧増すK氏にプレッシャーをかける筆者武田方プレーヤー。心なしかK氏の顔色が青ざめている。
ここで「ダイスへたれのK氏」という事実が皆の脳裏をよぎったが、まさか1ターン目の情勢変化で決定打が出てしまうとは考えがたい。考えたくない。
一回目よりさらに気合いと気迫を込めて投げられるダイス!
心なしかスピンが高速である。
コロコロ...
「3!?」
「なっ! ! 」
さよなら朝倉さん。TS氏大爆笑。

 朝倉軍は織田との戦いはどうでもよくなって国元に帰ってしまった。よっぽどK氏の指揮下に入るのが嫌だったのだろう。それともエキストラだったのだろうか?
慰めの言葉もない。「腹を切れい! 」の心境である。まあ、まだ石山・長島一向宗もいることだし、少なくなったとはいえ浅井氏もいることだし、帰ってしまった朝倉氏も次の情勢変化で織田軍との得点差が5~ 9であれば帰ってくる可能性はある。
 まあ、何時ひょっこりと出てくるかも知れないので何かの間違いで死ぬよりマシかと自らを慰めるほかない。
ダイスを振った本人はえらくケロッとしていたが。

長島一揆衆の戦い 
反織田方の構想では長島一向宗をできるだけ長期に渡って保持することが念頭にあったと思うが、織田軍の配置を見て愕然としてしまった。
織田軍は初期の構想通り、長島一向一揆を覆滅し戦略的自由を確保するためその主力を長島一向一揆に差し向けた。その瞬間長島一向一揆がゲームから脱落したも同然であると感じたのは無理でもない。それを救援すべき、あるいは援護射撃すべき軍勢は三河の国で徳川氏にブロックされたり、美濃・近江の国境でブロックされている。まさしく織田本軍と長島一向宗の戦いであり、戦略的には各個撃破の思想である。
朝倉軍への圧力が減ったため佐々成政のみを残して全軍で長島攻めである。
 ああ、それにしても一番最初の情勢変化で事もあろうに朝倉軍が単独和議してしまうとは....
朝倉軍が小谷城付近で、その存在を織田軍に知らしめていたならばこのような悲劇は避けられたというのに。
 ダイスを振った張本人であり、戦犯第1号のK氏は独り言のようにブツクサ言いながら、朝倉氏の不甲斐なさを嘆いていた。
 長島一揆衆は長島城のみに拠っていた。本来なら前進配置をして戦略的後背地を得て防衛するのだが、あまり注意を払われなかったため、長島城を中心に織田軍を配置されてしまった。これでは手も足も出ない。しかも相手はほとんど全軍だ。
 去年のプレイでは主力ではありながら一部の兵力が他戦線へ抽出されていたため、かなり長い期間長島城外の戦いが戦われたが、今回はどうであろうか? ほとんど全力である。城外の戦いなしに耐えられるのか?
 兵力差から見ても織田軍の打撃力は一揆衆の補充能力を超えようとする勢いである。前作よりも補充能力が高くなったとはいえ、多数の部隊から叩かれるだけの耐久力はない。
城外での戦闘はまさしく時間稼ぎにしか過ぎない。1イニングでも時間を稼げれば御の字である。
 沼地の地形修正分だけ打撃が薄くなるので織田軍も思ったほど戦果が挙がらない。が、今回は長島城での戦いから始まっているのでその時間稼ぎすらない。第1ステージの終了時には補充が完了した一揆衆の損害はたったの2である。TS氏はため息をついているが従軍メモによると「予想通り(相手の動けない)3、4フェイズに飽和攻撃をかける。」と対策万全である。
 第2ステージには相手の戦闘結果を最小限に適用するため、さらに部隊を分散配置している長島一揆衆である。うーん汚い。しかし第3ステージ、第4ステージと織田軍に鉄の暴風雨を浴びせられかなり損害が目立ち始め補充との競争になっている。
 その他の戦線では朝倉軍を失った浅井軍は単独で手薄となった横山城に侵攻した。居座るには兵力が足りないし、相手の反撃が予想されれば逃げなければならない。K氏の従軍メモでは「後詰めがいないのがつらい! 」とのことである。
 また静寂な戦線である近畿、特に京と堺では織田軍の連絡線が接続されていると織田軍の勝利得点にプラスとなるので暇そうな石山本願寺衆を出撃させて連絡線切断に成功した。まあ敵がいなくて成功して当然である。
 武田軍は甲斐の国の武田館を進発し、先頭は信濃の国に到着しているが、後続は甲斐の国を行軍中である。一部の部隊は駿河の国を行軍中で、遠江の国に侵入するのはまだ時間がかかりそうだった。

武田軍の前哨戦(第2ターン)
 最初の所でも述べたが、武田軍が得点を得る最大の場所は遠江・三河である。遠江・三河で迅速に徳川家康の抵抗を排除しつつ各城を占拠して行くのが得策である。できるならば史実とは違い、徳川氏との合戦を避けつつ、しかしながら絶妙の機動をもって浜松城に追いつめて反撃の「は」の字も上げられないうちに陥落せしめるのが遠江・三河での理想的な戦いと考えていた。
 出来たら徳川家康本軍も捕捉して城ごと殲滅するのが最上である。が、敵も馬鹿ではない。恐らく浜松城が攻撃される段に於いては家康本隊は脱出し、逐次反撃の態勢を取るか、あるいは信長軍と合流してそのデモーニッシュな破壊力を武田軍に叩きつけるかのどちらかである。
 浜松城での攻囲戦はどんなに長く見積もっても5ターンも持たない。
確かに5ターンぐらい持ちこたえれば、織田軍の救援はあてに出来るが、それまでに陥落してしまった場合、開城ならそれほど問題ではないが、降伏の場合在城の部隊は除去の可能性もあり得るため、徳川家康という1大カリスマと徳川軍という大戦力が失われる危険性もある。そんなリスクを背負うだろうか?
 ところで我が武田軍は第2ターンには全軍が信濃・遠江国境、あるいは駿河・遠江国境に馬を揃え、侵入のタイミングを計っている。反織田プレーヤーのK氏からは矢のような催促で前進を促されている。
幸先の良いことにこのターンの情勢変化は切望された一揆衆攻勢である。少しタイミングが遅かったとはいえ今の一揆衆にとって見ればありがたいことである。噂では全ての兵力が復帰したとかで、長島攻囲戦は1からやり直しと言っても過言ではない。京では石山本願寺衆が京にたどり着き、織田軍の連絡線を断ち切ることに成功した。これで織田軍の得点源の城は長島城と小谷城の陥落しかない。
さて、馬揃えを終えた武田軍の目標は浜松城の外郭防衛ラインである掛川城・二俣城。その前に軍団を再編成し、効率の良い、かつ合戦にも移行しやすいように組み替えた。今までは行軍しやすい編成だったのだ。
 第2フェーズに全軍遠江徳川領に侵攻開始。抵抗もなく目標である掛川城に取り付いた。しかし浜松城に陣取る徳川家康が不気味にも存在感を誇示している。
もう少し粘るかなと思われたが、浜松城に拠っていた徳川家康は本田忠勝隊を分離し、長島方面に離脱を開始した。本多隊は武田軍に圧力をかけるように二俣城に陣した。
タイミングを見計らって秋山隊も美濃に侵入し、間接的に長島一揆衆を援護させた。もちろんこれは今や長島プレーヤーとも言うべきK氏たっての希望だからである。
 彼曰く「はよ来い、はよ来い武田! ! 」

浅井殿和睦(第3ターン)
「お前わかっているなお前が出すのは1か6で、4は出したらあかんのや」
「オウ、イェー」
なんていつもながらの軽妙なやりとりではあったが、K氏にとって見れば確率は気にする事無いレベルであったから心配する必要はなかった。前回のダイスの目が異常なだけであってそんなに何回も異常時が発生するわけがなかった。
 むしろ先ほどから出ている1か6の一向一揆攻勢の方が確率的には高く、瀕死状態の長島一揆衆にとって見れば切望されるイベントである。
 このターンさえ乗り切れば遠江での武田軍の攻囲戦が奏功してきて、次のターンには情勢変化の欄が大幅に変わり、情勢変化決定に武田側に不利な点が無くなるからだ。うまくいけば、次のターンには朝倉氏が復帰してくるかも知れない。
そんな期待を込めながら上中氏は一時的に前回の結果を忘れ、目の前に広がる薔薇色の未来を夢見ながら第1投を投げた。
コロコロ
「4! ! 」
無情にもサイコロは第1回目と同じ目を出して我々の目の前に止まった。
「和議交渉・・・」
そんなことは言わなくてもわかっている。前回も見ているからだ。
そんな我々の脳裏に前回の悪夢が甦ってきた。
「こいつなら絶対出しそうだ。」
味方であるからそうは思ってもそんなことは口には出せない。K氏は事情を悟ってかあくまで無口である。
神妙とも言えようか。沈黙をしかし重い雰囲気の我々をよそに織田方プレーヤーのTS氏はシチュエーションの面白さにニタニタしている。多分我々の言う悪夢を望んでいるのであろう。
さて出てしまったからには問題は誰が和議となるかである。もはや我が軍には和議を受け入れるべき軍勢は浅井軍しか存在しない。その目は「2」のみである。6分の1である。これこそ出るわけのない確率と言える。
しかし
衆人環視の中、全ての思いをよそに第2投。
コロコロ
「2! ! ! ! 」
「あああっ! 」
織田氏に圧力をかけているわけでもない浅井氏は突如として小谷城に引き籠もって和を請うた。その理由は戦いに疲れたという。朝倉といい、浅井といいよっぽどK氏の指揮下に入りたくなかったのであろうか?
そうでないと説明が付かない。

浜松城を巡る虚々実々(第3~ 6ターン)
 浅井軍まで失った我々は一縷の望みを長島一揆衆に託していた。織田軍の攻撃を一身で受け続けていた彼らはそれこそズタボロである。
そのせいか城外での活動は限界を感じ始めたようで、長島城に籠もる籠城戦に移ることを決意したようだ。
籠城戦に移ればもはや、積極的な活動は望めず、運を天に任せて落城までの月日を数えるか、それとも救援の軍が間に合うかである。
 救援の軍のはずの武田軍は未だ遠江国内にて徳川軍との静かな戦いを展開中であった。距離的に先手を取りづらいのだ。しかしかといって時間を空費するわけにもいかないので、二俣城は信玄本隊と馬場隊で包囲し、山県隊は高天神城に移動した。美濃に侵入した秋山隊は史実と構想通りに岩村城を包囲した。
 5ターンの終わりまでに二俣城は馬場隊が包囲し、久野城は信玄本隊が包囲し、浜松城は山県隊が包囲戦を展開した。その間に岩村城を囲む秋山隊は織田軍の羽柴隊と徳川軍の家康本隊に接近されたため、岩村城を解囲して奥三河に撤退した。二俣城を脱出し、遊撃戦態勢の徳川軍本多隊は本城解囲を狙って接近するが、それ以上近づけなかったようである。長島城では籠城戦に移行した時点から、織田軍は包囲戦にとどめるべきか強襲で出血を省みず早期決着を狙うべきか考えていたようである。第2フェイズには包囲をしたが、味方の浜松城が包囲さるとの情報に接したせいか、第3フェイズから強襲に決したようである。力の暴力はあっという間に耐久力を7までに下げてしまった。単純計算すると、あと2ターンで落城してしまうので5ターンには落城の予感がする。

そして誰もいなくなった(第7ターン)
 5ターンで落城するかと思われた長島城は織田軍の損害、美濃方面への兵力抽出もあって、思いの外粘り6ターンになってもギリギリの線で粘っていた。
 その間にも武田軍は着実に遠江の徳川方の城を包囲し、着実に得点への道を歩んでいた。もはや消え去る運命が見えてきた長島プレーヤーK氏は「強襲や! 強襲! 」「チマチマ攻めとらんと浜松城に全力をかけい! 」等と身勝手な指示のみが飛び交っている。しかも暇なことをいいことに頼まれもしないのに戦術指南まで始めている。
 奥三河に脱出していた秋山隊はさらなる羽柴、徳川軍の追撃をうけたが、すんでの所で脱出に成功し、遠江の本隊に合流に成功した。とりあえずこれで武田軍は全軍集結できた。
7ターンの時点で久野城は陥落し、掛川、浜松城ともに士気は- 3まで低下し、後一押しで一気に落城する見込みであった。TS氏の従軍メモにも「きつい状況だ。武田軍に兵を向けるべきか? 」とあったので織田軍にとって見れば思案のしどころであったのであろう。
 しかし、さらに風前の灯火であったのは長島城の方で、それこそ吹けば飛ぶと言った危うい状況で何故かこのターンまでもったと言った感じであった。
そんな長島城も最後の時を迎えてしまったのであった。
「落城」である。
 長島一揆衆を助ける手だてが考えられたが、何もなかった。従って城兵は歴史通りに撫で斬りにされてしまった。その紅蓮の炎の中でK氏もついでに斬られてしまったらしい。
 もはや、織田軍を遮るべきものは何も無くなってしまったので、これ以上の抵抗は無駄である。軍が武田領に侵攻
してくるのだ。これを支えるべき戦力と能力は武田軍にはない。
従って投了と言うことになってしまったのは仕方がないことである。

 プレイ後の感想は
TS氏(織田軍):浅井・朝倉勢が和議に出た時点で事実上西の敵はいなくなり、武田のみに対応すれば良くなったので楽になったと言える。長島城が比較的早く落ちたのもツキがあったといえる。
K氏(反織田軍):まあ長くもった方だろうと自分をなぐさめる。
筆者(武田軍):120戦力対60戦力では勝てん。
最後に
久しぶりに同じテーマを2度続けてプレイしたが、やはり何か致命的なエラッタが存在するようである。
前回のプレイでも問題になった織田軍が京方面をほったらかしにしても勝利できるという点もさながら、今回のように第1ターンから朝倉軍が撤退してしまうかも知れないと言うイベントがあることも驚きである。
プレイ後3人で話し合った結果
1.京都・堺の重要性が薄すぎる。
2.イベントが初期に致命的な点がある。
3.徳川軍が強力すぎる。
4.浅井朝倉軍が弱体すぎる。
5.合戦ルールで拒否ルールが無くなった。
6.織田軍の部将の編成スケールが大きすぎるあるいは武田軍が小さすぎる。
等々である。
プレイ後にネットの方でも各種の問題点が定義されていて、このゲームの持つ致命的な欠陥が明らかになってきたので我々のプレイが間違っていなく、カオスな展開でもなかったということが証明できた。
このゲームは欠陥があったとしてもいつぞやに再プレイされることがあるであろうから、上記欠点をよく認識し、ハウスルールで補完することが重要である。
shingen.JPG

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