戦国大名(EP)リプレイ
ドイツ戦車軍団でも書いてありますが、元々はマルチプレイを目的として集まっていたので人数が集まるとマルチプレイになだれ込みました。
時間と人数があれば「ビクトリー」「湾岸戦争」「ディプロマシー」「ヒストリーオブザーワールド」「サクセサーズ」等々がプレイ予定に上がっていましたが、時間も押しているので結局慣れ親しんだ「戦国大名」に落ち着きました。
「戦国大名」は人気のマルチプレーヤーズゲームで、日本の戦国時代でマルチをするという日本人で少しでも歴史をかじっていれば見聞きした名前が出てくるキャラ性の高いゲームである。
さて、「戦国大名」というとクラブの数があればあるほどプレイスタイルが違うのでは?というほど流派と作法の多いゲームかもしれません。我々の好みはエキスパンションセットを追加し、フリーセットアップで金30、本城15、支城5、戦力10、武将1で最初の3ターンは吉凶札無しというものです。
人数の増減によってフリーセットアップの範囲は変わりますが、大方関東~近畿というのがお好みのパターンです。今回は趣向を変えて吉凶札を最初から適用、四国、中国、近畿という九州を抜いた西日本だけでプレイすることになりました。
まずは今回戦国大名のプレイにあたりプレーヤーの紹介。
TT氏:戦国大名をプレイする上で欠かせないキャラクター常に上位に来るかじり貧となるか浮き沈みは激しいが、プレイの中心となっている。
K氏:戦略級好きと言いながら一番好きなのがこのゲームやったりする。他のゲームはプレイしたのも忘れるが、このゲームはコストとかよく覚えている。
H氏:最近はゲームに参加しないが昔はマルチでよく参加していた。ドラマティックな展開が多いプレーヤーである。
以上3氏に筆者を加えた4名で行った。
初期配置においてはK氏が昔からプレイしたかったという四国に本拠を置き、TT氏がいつもの国力の高い国から始めるという原理に基づき近江に本拠を置き、筆者はTT氏対策と好みから丹後に本拠を置き、H氏はバランスを考えて安芸に本拠を置いた。それぞれが支城を2ずつもっているので隣接地に配置。調略等により勢力圏を決定し、序盤のパワーバランスとしてはTT氏優位である。このまま進めば超大国が生まれてしまうのでK氏・筆者共に注視している。
筆者は丹後・若狭・但馬に勢力を張り、このまま南下して丹波・播磨・摂津を掌握し、西へ延びるか更に南下するかと言うところであった。
TT氏は取りあえず近江両国と伊勢を掌握し、大和を加えると超大国となるため拙速な領地拡大を目指しているようだ。しかも山城にも触手を伸ばしている。
K氏は四国を席巻し、中国・近畿のどこへでも上陸できるように戦略的に自由な位置にいるといえるかもしれない。戦国時代の三好氏のようなものと言えるか。
H氏は数多い中国地方を平定し、領国に縦深を得てしまうと大変なことになるし、早期に山陽道を平定できないとK氏の侵攻を招いてしまうし、いずれは筆者とも激突するだろう。
しかし事前に予想されたパワーバランスは意外なところから大きく崩れてしまう。勢力圏が確定するかと思われた時、あるプレーヤーのかざしたカードには近畿方面のプレーヤーには致命的なカードがあったのだ。
「一向一揆」
一向一揆の蜂起である。しかも最悪なことに本願寺である。摂津と伊勢が同時に蜂起で隣接国に波及する可能性がある。最悪の場合隣接国の隣接国というように蜂起が波及し、近畿一円が一向一揆のマークであふれるという事態になる。このマークを保持する国はナチスと言われるのは内々の話である。
判定の結果、伊勢・摂津に端を発した一向一揆は波及に波及を重ね伊勢、紀伊、大和、伊賀、山城、摂津、丹波、近江と一大波及を重ね、近畿一円に広がった。
これに顔色を失ったのがTT氏。自国領とこれから支配下におさめようとする地域がことごとく一向一揆の手によって蜂起したのだ。筆者の領国には直接影響が及ばなかったとはいえ、丹波、摂津と白い城が突如として現れ行く手を遮られた気分であった。
TT氏はカードを出してきて判定をしたK氏に怒りをぶつけたが後の祭りである。優勝候補が一気に極貧生活である。判定前までは裕福であちこちに調略の手を回し、家臣団もそれを見越して高額な人材を備えていたが今となっては、高額サラリーが国庫を圧迫する。
近畿一円に白い巨塔が建ったこともあり、今後の勢力図が大幅に変わった。TT氏は自国の平定まで時間がかかるだろう、その間に周辺の国は力を付けスターダムにのし上がるのだ。
特にK氏にとって重大な契機に写ったようである。四国平定後の本土上陸に大きな保証が付いたようなものである。筆者にとってこれは放っておくと危ないと感じたので、丹波→播磨→摂津の順番を変更し、播磨から攻め取ることにした。山陽道のおいしいところをK氏に取られる前に手を付け、播磨に拠点を置くことで隣接の摂津・備前に睨みをきかせるのだ。
この後数ターン自国内の反対勢力を掃討するという作業であったが、国力が小さく家臣団も少ない我が国は反対勢力もそれほど大きくなく、あっという間に鎮圧し、自国の城塞強化に当てた。地図上では隣接する地区は白い巨塔が林立しているが、我が領土ではシンプルで統治がうまくいっているように見える。
K氏の四国平定が終わった頃には筆者の領国も播磨を平定し、隣接する海域も支配することに成功した。TT氏は相変わらず中小勢力と一向宗との戦いに明け暮れているが、いつ何時領国を捨て攻めてくるかもしれないので領国の城塞も固めてある。H氏は着実に伸びているが未だ隣接までには至らない。但馬・播磨のラインを固め戦力を集中し、H氏K氏への備えとする。海域の支配により摂津への上陸は困難にさせたが、備前へは無防備である。K氏の上陸は備前か紀伊か?
あるターン豊作となり、山陰地方等の日本海側が増収となった。更に次のターン山陰山陽側両方が豊作となり、H氏と筆者が大幅に税収を伸ばした。筆者は極力節約し、H氏は派手に支配権とか軍勢の移動包囲などで使い始めた。バブルである。バブルとなったH氏はそれこそ飛躍的に勢力圏が伸び、筆者の因幡に接触し始めた。備後にも進出してきている。因幡の城は固めているので心配ないが、未着手の備前・美作は火花が散るかもしれない。
筆者の提案で美作は筆者が、備前はH氏が勢力を伸ばすことで手を打つことになった。こっちはそろそろ摂津と丹波に手を伸ばしたいので、手が回らないのと備前をH氏の手に委ねK氏への牽制とすることだった。H氏も急速に勢力圏が広がったのであまり争いごとは起こしたくないようだった。K氏はそれを見てかそれともそれ以前か目を別の所に移したようである。
TT氏は地道に自国平定の道を歩んでいたが、数ターン前に天王寺屋宗久を手に入れ税収アップで復活を企んでいたがTT氏の不幸は続く。敵方家臣の調略でK氏に調略され近江で独立してしまったのだ。
TT氏は猛攻に猛攻を重ねあっという間に裏切り者を抹殺してしまった。このあたりの戦力と資金力は地道に貯めていったおかげであろう。その辺の底力は恐るべきものがある。
TT氏の不幸は家臣団の裏切り等でボロボロである。更に追い打ちをかけるように「富の浪費」を引いてしまってにっちもさっちもいかなくなってしまった。成長の停止である。さらにK氏の四国軍団が紀伊に上陸し、あっという間に制圧である。
K氏が四国から本土上陸し、悲願の橋頭堡を築いた頃、筆者は美作の制圧に乗り出した。H氏は「国内の不穏」を出し、強行に税を求めたため至る所で一揆が発生している。中には支配権が崩れたところもあり、まさしくバブルが弾けたようである。その機に乗ずると言う手もあるが、中国地方は縦深が深いので戦端を開くと戦闘が長期化する。当方には人材が不足しているので多方面を一度に攻める余力はない。
K氏は更に大和まで侵攻し弱っているTT氏の軍勢を蹴散らしている。筆者は急ぎ摂津を攻めそのターン中に一向一揆まで制圧し、睨みをきかす。これ以上の進出は防がねばならない。が、TT氏が奇跡を起こす。大和に来襲するK氏の軍勢に対し、反撃を開始しK氏の大名もろとも撃砕に成功した。この勝利でK氏の家臣団に動揺が走り、ある武将は反旗を翻し伊予にて独立してしまったのだ。
筆者の所でも大名死亡で動揺した家臣が因幡で独立したり、H氏のところでも下克上が発生したりと裏切りがブームであったようである。
時間を切ってプレイをしていたので最終ターンまでに筆者は丹波も併呑し、摂津から河内・和泉方面に進出を図るところであった。H氏は土一揆の鎮圧に明け暮れ、TT氏は大和の覇権を争ってK氏と合戦に及んだが敗北したようである。
最終的には最高国力が筆者であったので筆者が珍しく勝利を収めた。珍しく初期からもめていたので敵の不幸に一喜一憂していた。TT氏は一向一揆に最後までたたられ、H氏は土一揆によって高転びし、K氏は裏切りに泣いた。最も安定し、最も失敗が少なく順調に計画を推し進めた筆者が順当に勝利を収めた結果になった。
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