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信長風雲録(ツクダ)プレイ

 群雄伝シリーズは日本史愛好プレイヤーなら一度はプレーしたことがあるだろうシリーズで、人気のシリーズだ。なんといっても出版された日本史ゲームの多くをこのシリーズが占めていることから機会的にと言うだけでなく、単に合戦を扱うのではなくそれを含む巨視的な視点から戦国時代を扱うゲームとしては珍しい作戦級としてデザインされている。
 シリーズは南は九州から東北まで四国と東北の北部以外はマップ化され連結できるというエウロパシリーズの向こうを張って日本シリーズと言われたこともあった。
 戦国前期やマップにない地方の武将を除いて主だった有名な武将はユニット化され、見ているだけでも面白い。
 人気ある故にルールも改定が数回かかり、最終版は国際通信社の「信玄最後の戦い」が最終版となる。またシナリオやヴァリアントも同人レベルで発表されており、発表されなかった南部氏や長宗我部氏なども出たらしい。
 さてそんな群雄伝シリーズは過去によくプレイされたゲーム群で、信玄上洛、九州三国志、秀吉軍記などはよくプレイされるが、あまりプレイされない作品もある。我々の中ではK氏が最も好んでプレイしているが、なんだかんだ言ってプレイしたことがないのが信長風雲録だ。
 今回はそんな不遇の作品「信長風雲録」にスポットを当てる。

 プレイはK氏が織田氏、TS氏が浅井・朝倉氏、筆者が三好・六角・本願寺・その他大勢を担当した。織田氏が京、岐阜を保持していないと情勢変化が悪化し、補充状態も悪化する。シナリオは金ヶ崎撤退を扱ったもので織田本隊は金ヶ崎で損耗している。反織田方はゲーム序盤で動けるものは浅井・朝倉を除けば三好、江南一揆、若狭の武将のみであり、心許ない。
 ゲーム開始時より織田方は連絡線が設定できず士気が低下する。反織田方としては絶好の機会だが、行動力の面から織田方を捕捉するのは難しい。
開始時の織田軍の苦境ぶりは大脱出行が想像されるもので、英雄譚をなぞらえるには絶好のシナリオと言えるが、一歩間違えれば江北の地で織田軍主力が野垂れ死ぬこともあり、織田側にとっては楽しいシナリオに違いない。
 一方、反織田側は一番最初が一番有利というシチュエーションは、乾坤一擲との言葉にあるように、一発逆転だがその分リスクも大きい。なんと言っても浅井朝倉のみで織田軍を覆滅することは難しい。行動力の面から能力は低いが戦力を持つ朝倉と能力は高いが戦力が少ない浅井、これを一つにまとめ上げ運用しなければならないが、下手をすれば各個撃破ともなりかねない。従って積極的な野戦は難しい。
 構想としては一発逆転を目指すように圧力をかけながら史実と同じように湖西を敗走させ、その間ロードブロックで消耗を誘うというものだ。いずれにせよ、湖西を敗走する織田軍は信長が京と岐阜に戻るまでに消耗し、勢力を弱め時間を費やしてからゲーム途中で参戦する一向一揆や六角氏、その他の中小武将がカオスを巻き起こすはずだった。
・・・
 浅井朝倉軍以外の武将を率いる筆者は、序盤にやることは少ない。情勢変化で参戦する中小武将を待つか、唯一動ける三好軍と江南一揆を使うぐらいだ。一向一揆が参戦するターンは後半だが戦略状況によって前後する。それを目指すため京と岐阜間の連絡を遮断し、京に反織田側の部隊を近接させ、織田側の城を攻略する。これが筆者の任務だ。

 連絡線切れのペナルティは重く、士気が下がるということは、移動力がその数値分減少し、戦闘時の修正もその数値分不利となる。しかも-4を越える士気低下は降伏として処理される。
 ゲームスタート時は織田軍の方が忙しい。機動し、士気回復を図らねばならなく1フェイズは必ず空費する。しかも戦略移動もできないのであまり進まない。このまま行けば湖西を追撃する浅井朝倉軍が見られるかもしれなかった。

 しかし、織田軍は圧力をかけようとする浅井朝倉軍の横をすり抜けて、江北の浅井軍の城を乗り越えて突破しようとしているではないか!
 この辺のいきさつは本人から聞いていないのでよく分からないが、分散して移動力が低下した織田軍に打撃を与えるため移動したのかもしれない。
 さて、サッカーで言えばディフェンスを置き去りにしたドリブルは何処へ向かうのか。さてこの衝撃の結果は例えるならばドーバー海峡を突破されるイギリス軍に似たものがあるが、違うのはK氏は突破する先行部隊、追撃を阻止する阻止部隊、岐阜側から突破を補助する支援部隊とかなり計画的に組織だって行われており、詰まるところ我々はハメられたと言うわけだ。
 一気に連絡線が繋がっただけでなく、小谷城を含む浅井軍の城塞が包囲下に置かれた。一方、三好軍は順調に織田方の城を包囲にて攻略していたが、北方での悲報を聞き急遽強襲攻略に切り替えた。
 織田軍は息を吹き返し逆襲に転じた。次の目標は京を席巻する我々だ。立ちふさがるのは江南一揆のみ....情勢変化は冷たく我々に加勢する武将は少ない。ともかく織田軍が接近するまで城を攻略し、点を稼がなければならない。しかし...

 織田軍は4ステージある作戦ステージのうちほとんどが4ステージとも移動できる。対して反織田側は3ステージまでが最高で、4ステージ動ける武将は中立武将の参戦であるのみだ。しかも拙いことに参戦が近い六角氏は参戦即攻撃を受けること必死だ。
 江南一揆で縦深防御するが、徳川家康を中心とする織田軍の前に一蹴される。六角氏は案の定敵前参戦になり、籠城戦で対抗するが一撃と言っていい早さで落城まで持って行かれた。
 万事休すだ。一気にアクティブな有力参戦武将が三好氏だけになってしまった。一向一揆は参戦までにまだまだ時間を必要とする。この時点で織田軍が京に進入し三好軍が退却した時点で反織田方の戦意が喪失し、ターンの多くを残しながら投了することにした。

 湖西で消耗する織田軍が湖北から抜けた時点でもはや勝敗が決まったものと言えるかもしれない。使えなさすぎる朝倉軍、城を出れば烏合の衆となる一向一揆といい、反織田側の陣容に溜息しか出ないが、織田側の能力の高さには疑問を持たざるを得ない。もう少し面白いシチュエーションの筈なんだがなあと思いつつ、プレイが少ない理由がわかったような気がする。

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