3月の戦い
年度末だ。
世間一般的に忙しいシーズンだという。または人事異動などで飲み会が極端に多くなる季節でもある。
筆者、一介の会社員であり、一年の中で最も忙しいのがこの時期かもしれない。
しかし、忙しい時ほど魂の休養が求められるというものである。いやむしろ追い求めているのかもしれない。寸暇を惜しんで趣味を充実させようと思っている。
くそ忙しい中を縫って行われたゲームは何故か偏ったジャンルとなってしまった。これは意図したものではなく、時間の都合でこうなってしまったものが多い。
プレイしたゲームは
- 武田騎馬軍団
- 義経
- 第一次世界大戦
- 上野戦争
である。今回は執筆にあまり時間を取れないので、2回の会合分のダイジェスト版だが、時間が空き、気が向けば詳細版をアップするかもしれない。
武田騎馬軍団(瀬沢の合戦) EP
武田騎馬軍団の練習シナリオとでも言うべきシナリオ。指揮官に恵まれた少数精鋭の武田軍と大軍の小笠原・諏訪勢という構図。
共用掲示板で話題になっていたが、筆者側も投稿者と同じ様な解釈でプレイをしていた。
ランダムに兵を選択し、配置も自由なためにものによっては毎回展開が変わる可能性がある。
ゲームの展開は稜線上に籠もることを予期していたが、予期に反して平地に陣取る武田軍を見て勝利を確信したが、逆に斜線陣となった小笠原方は五月雨式に武田軍と接敵することとなり、指揮統制に優れる武田軍に翻弄され倍する兵力でありながら小笠原方が撃破された。本当は回り込んだ部隊が阿鼻叫喚の地獄を演出するはずだったが、正面の部隊が武将が居ないことを良いことに武将の居る武田軍が好き勝手に引き込まんで撃滅し、為す術はなくなってしまった。
まあ久しぶりだから仕方ないか。
武田騎馬軍団(塩尻峠の合戦) EP
瀬沢の合戦に続いて小笠原軍が信濃から追われてしまった合戦をする事になった。本当は大きな合戦をするつもりだったが、ユニットが見あたらないというアクシデントに見舞われ(K氏の策略という説もある)、本シナリオをプレイすることにした。
峠を守る小笠原軍に猛攻をかける武田軍という図式。史実では士気が低い側が武田軍に突破され、小笠原長時を挟撃して武田方が勝利したというもの。
相変わらず武田軍は指揮統制に優れ、初期配置を誤った小笠原軍を掃討するような展開となり、使える指揮官無き大軍はものの役に立たないことが証明されてしまった。また武田軍の射撃がアームストロング砲かという程よくあたり、主導権も握られっぱなしであったため良いところ無しの小笠原軍であった。
プレイ後1ターン目は小笠原軍が動けないので前進配置は拙いだろうと駄目出しまでされてしまった。
これはもう少し練達しないと....
義経 GJ
takoba39714さんとの会合で、源氏方が勝てないことを聞いてプレイすることにした。カードドリブンというか、カードを積み込んで順番にプレイしていく方式で、積み込まれるタイミングで振れ幅が大きいと感じた。
筆者源平合戦は思い入れが強く、いつぞや源平合戦をテーマにしたゲームを作りたいと考えていたことがあるが、何と言っても源平ものは日本の合戦の原点があると言っても過言でなく、日本人の戦いの美学をあちこちに見いだすことが出来る。
プレイでは史実同様に富士川の合戦のように平氏の大軍が臆病風に吹かれて敗戦し、ズルズルと京まで敗退となり、このまま史実通りに平氏の敗戦かと思われた。
しかし平重衡の南都炎上をきっかけに平家の浸透東征作戦が始まり、義経をやり過ごし関東へ雪崩れ込む平氏の軍勢に源氏方は顔面蒼白となった。史実から一転防戦となった源氏は義経を主力に平氏の本拠地に乗り込もうとするが、あと一息のところで逃げられたり邪魔が入ったりで思うように攻撃が出来なかった。
全国に散らばった平氏の活動で消耗戦となり、鎌倉に突入寸前の平氏の進軍で源氏敗北間違いなしと思われたが、カードは無情にも源氏に味方し九州の源氏方の奮戦で、壇ノ浦で平宗盛を討ち取ることに成功した。
まさしく薄氷を踏む思いの勝利を源氏方は得ることが出来た。しかしカードの回り込み次第だなあと感じた。
第一次世界大戦 CMJ
プレイというものは対戦者が居て初めて成立するものである。最近のプレイ傾向として部隊規模が小さい戦術にシフトした戦いが多くなったので、ここいらで戦略級などを続けてする必要があった。
そこでコマンド誌からバンダイ第2次世界大戦の代わりと言うことで急遽出されたゲームで、よく知らなければやっつけ仕事のゲームかと思われるかもしれないが、中々どうして手堅く作られていると思う。しかし急いで作ったせいか対面プレイでどこに座らせるか統一できていないという詰めが甘い箇所がある。それを除けば短い(であろう)開発期間で良くできたものだと感心せざるを得ない。
初プレイと言うこともあって中々思い通りの戦いが出来なかったが、西部戦線ではマルヌの奇蹟でドイツ軍の侵攻が止まり塹壕戦となり、ロシア戦線ではブルシーロフ攻勢ばりの攻勢の前にオーストリア軍とドイツ軍が飲み込まれ、あと一息のところで、両国首都のブダペストとベルリンに手が届きそうな勢いであった。
しかし勝利の女神はドイツ軍側に微笑み、ロシア軍の弾薬制限から慢性的にロシア軍の対応力が無くなり大量のユニットが壊滅し、もはやサンドバック状態の国となった。
そんなロシア軍は予想通り革命が起きて脱落し、背後の自由を得たドイツ軍は1年早いカイザーシュラハトを発動(ルール上のそれとは違う)し、西部戦線では突撃兵が戦線を破滅的な状況に陥れ、パリが陥落し奪回できなかったことからサドンデスが成立し協商側が敗北した。
武田騎馬軍団(稲生の合戦) EP/CMJ
コマンドマガジンに追加シナリオとして掲載された信長の尾張統一戦期の合戦を扱う。武田騎馬軍団のシステムを用いた続編ということで、信長主人公の「信長公記」を期待させる。邪推過ぎるか?
大軍の激突ではやや煩雑になるが小勢同士の激突で小シナリオゆえ気軽にプレイが出来る。
シナリオは織田信長vs柴田勝家の戦いで、大軍の勝家と指揮官に恵まれた信長方の対比は瀬沢の合戦とよく似ている。ただしこちらは川を挟んで戦うので、ちょっと趣が異なる。
シナリオではランダムに選択する兵ユニットで、信長側と勝家方(末盛側)の兵種の差が出るようになっているが、この時代に鉄砲隊がドッチャリ出てしまうのは拙いと感じたので、ローカルルールで鉄砲隊ユニットも除いた。
展開は瀬沢の合戦と同じく指揮統制に優れる信長側が優位に戦いを進め、勝家をはじめとする末盛側武将の突撃により信長を窮地に墜ち入れることもあったが、その前に士気崩壊し敗北した。
上野戦争 GJ
寛永寺に立てこもる彰義隊を官軍が攻め立てるというゲーム。
いわゆる交互に行動するというシンプルなシステムで、戦闘はダイスパワーで解決される。
序盤は有利な地形に籠もる彰義隊各隊を攻めるのに苦戦していたが、長射程の砲を持つ佐賀藩砲兵が戦闘に加入するようになってからは官軍優位に戦いが進むようになった。長州藩・薩摩藩が左右から挟み込むように進軍し、7ターン目に勝利条件の社寺を3カ所占拠するという条件を達成し、8ターンにはその勝利条件を退けようと画策する彰義隊の反撃も潰えるという白熱した展開であった。
ミニゲームとはいえ射撃・砲撃・白兵戦・スタック制限などとSSゲームを思わせる内容で、小さいながらゲームの空き時間などニーズは果たしていると思う。
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コメント
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どうもです。お世話になります。
えーと簡略版ですのであんまりプレイの時考えていたことなどは書いていないのですが、
「東に攻める平家」は、ある程度源氏の本拠地や頼朝に圧力をかけることで、カードの消費を誘い、前線での対応力を奪うという考えに則っています。
対して源氏は連続コンボを考えていたみたいです。
投稿: ぐちーず | 2007/03/29 22:08
その節はお世話になりました。
「東に攻める平家」という展開は、我が家では起こらないので、なんともびっくりです。
京都以西で要塞を築く平家と鎌倉の背後を伺う藤原氏に、源氏が手を焼くというのがパターンなので・・・。
投稿: takoba39714 | 2007/03/26 23:57