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7月の戦い

 7月はと言うより4月よりゲームプレイが低調と言えるかもしれない。
概ね、月平均で2~3ゲーム位をプレイするのがいつものコンスタントなゲームプレイだった。この4月から7月にかけてはほぼ月1と言えるぐらいで、少し寂しい感じがするがウォーゲーム系の活動は対面プレイだけとは限らないので、そう言う意味では充実していたと言えるかもしれない。

 ブログなんかは12記事ぐらい書いているので月平均3記事だからそれなりに活動していたことになる。Must Attack!なるSNSに加入して活動を開始したのにもちょうどこの期間に相当するから、プレイ以外の活動が多かったことになる。

さて、今回プレイしたのは以下の2ゲームであった。

  • Manila '45(DG)S&T#246 
  • 独眼竜政宗(TU )人取橋合戦

 少ないながらも堪能できたように思う。勿論、7月はまだ終わっていないので、この後にプレイしたゲームは別記事としてアップする予定だ。

Manila '45(DG)S&T#246 
 最近のDG社の発行するS&T誌はシンプルなシステムを持ったゲームが多いような気がする。
 このManila'45もかなり簡単な部類に属するゲームだ。移動して戦闘すると言う単純なシークエンスに、戦闘には間接射撃と直接射撃があるという戦術的なフレーバーの濃い作戦級ゲームである。
 シチュエーションは1945年米軍の上陸を受けたルソン島で、拠点防御をとる日本軍に対し米軍の攻撃を扱ったものだ。その拠点防御の地点が数カ所あったわけだが、その中でもタイトル名にもなっているフィリピンの首都マニラにはマニラ湾を防衛する日本海軍のマニラ海軍防衛隊、略してマ海防が首都攻略を狙う米軍3師団の矢面に立たされることになった。
 米軍はマニラに3個師団を投入したといっても、ヨーロッパ戦線とは違いバリエーションに飛んだ編成で挑んだ。都市攻略にあたるのが、普通の歩兵師団は1個(第37歩兵師団)しか無くて、残りは騎兵師団の名のつく機械化師団(第1騎兵師団)と空挺師団(第11空挺師団)で構成されていた。この攻略戦以前に第11空挺師団が上陸戦と空挺降下を両方行っていたという面白いシチュエーションや戦った日本軍が、海上挺身基地大隊とか集成された日本軍という前史は置いといて、太平洋戦線ではまれに見る米軍の面白い組み合わせは、筆者の心を捉えて放さない。
Imgp3182  本ゲームは射撃戦、LOS(視線)などと戦術フレーバーが多いとは言え、かなりシンプルな種類に属する。もちろん米軍には強力な砲兵と航空部隊の支援があり、全てファイヤーパワーで解決される。珍しいのはガソリン攻撃という孤立した拠点に籠もる日本軍を掃討するためにガソリンなどを流し込んで着火し燻り出すという極悪非道なルールも存在し、太平洋戦争末期の無常観を味あわせてくれる。
 さて、プレイでは筆者が日本軍を担当し、K氏が米軍を担当した。日本軍は米軍にどの部隊がどこにいるのかわからないように裏返されて配置され、米軍はマップからの日本軍ユニット一掃を勝利条件として戦う。1個でも日本軍が残れば日本軍の勝利である。
 米軍の配置はマップ端から進入してくるのでそれほど選択肢は多くないが、北側から来る2個師団(34Dと1CD)と軍団予備をどのように襲いかからせるかは、効率的に日本軍を除去するには悩むべき選択だろう。
 日本軍は失うとサドンデスとなる地区が存在するので、その地域はぞんざいに扱うわけにはならない。しかしここは市街地の切れ目から中央部に殺到できるところがあるので、そこをキルゾーンとして、おそらく第1騎兵あたりが来るのではと予想した。よって危険な地区である北東エリアは割と手薄になっていた。
 しかし米軍は東から第1騎兵、第37歩兵、軍団予備の並びで進入し、日本軍の効果的な防御砲火の前に多くの出血を強いたが、サドンデス地区の全面があっという間に崩壊。
 そのまま第1騎兵が勇気を持って突っ込んでくれればサドンデスの可能性もあったが、超慎重な米軍は着実に日本軍ユニットを磨り潰す戦略に出ていた。
 いつ何時危険な北東エリア、しいては防御射撃が出来ない日本軍の重砲陣が割拠する中央部に雪崩れ込まれるかもしれないので、南部の部隊から引き抜いてこれにあたらせた。
 残念ながらこの処置が日本軍の死期を早めてしまったようで、戦後対戦相手のK氏をして自分から前に出てきてくれたので、逆に移動距離が短くできて撃破するチャンスが生まれたと苦戦の中の勝利への道筋が見えたと独白している。
 結局、米軍の慎重ではあるが確実な戦術の前に、自ら身を晒すようなまねをした格好になり、史実より1ターン早く日本軍は壊滅してしまった。

独眼竜政宗(TU )人取橋合戦
 久しぶりの群雄伝シリーズである。ウォーゲームバブルが弾けた後に我々がプレイしていたゲームはこの群雄伝シリーズと銀英伝シリーズであった。
 そう言うわけで既におなかいっぱいで、、たまにプレイ時間が空いたときに候補が挙がるが、必ず誰かが「また~」と言い出すので最近はあまりプレイしなくなっていた。
 ところが中途半端な時間に終わったことと、持ってきているはずの戦術級ゲームを忘れているというアクシデントと、前回、群雄伝シリーズの話になってまたプレイしようかという気運が盛り上がっていた為久しぶりにプレイすることになった。
 そして選ばれたのが、この人取橋である。
 人取橋は政宗の奥羽の覇者となる切っ掛けとなった戦いで、佐竹側からはこの自慢話を政宗にされるとムッとしていたという話があるくらい、政宗がゴングに救われた的な戦いであったらしい。
Imgp3194  しかしゲームでは政宗の周りには敵だらけである。敵敵敵だ。多分実際の感じもこんな感じであったのだろう。しかし、伊達政宗はパンチ力のある武将で、配下の武将も使える。それに引き替え佐竹側と言えば佐竹義重に合体しなければ何ともならない。勿論、群雄伝シリーズで優劣を分ける活動ステージの多さも伊達軍の独壇場で、佐竹軍は1から4ステージあるうちの半分である前半の1と2ステージしか動けない人たちが占めている。
 たくさん動ける人と動けない人の違いは何か、1つに移動する距離に差が出、自分に有利な状況を作り出せることが出来る。例えば動けない間に連絡線を押さえておく、背後に回り込むなどである。この辺は手練れは色々なテクニックや定石を抱えているので、胃がキリキリする。
 実は対戦者のK氏は中々このシリーズに精通していて、ちょっとボサッとするとコテンパンにやられてしまうことが多々ある。非常に慎重にせねばならないので苦手ではあるのだ。
 さて、佐竹軍率いる筆者は多勢を利用して、さらに地形に寄りながら伊達軍を圧迫し続けた。しかし調子に乗っているとど偉い目に遭うので伊達政宗の行動力の前に潮が引くように離れなければならない。
 佐竹軍は史実では白河領から進入するのがセオリーだが、強力なK氏を相手とするには常道では敵わず奇策に出る事とした。海浜沿いに進み、伊達本城の所へ躍り出る作戦だ。
 残念なことに他の佐竹側の連合軍の分進号撃が巧くいかなかったので、白河氏と伊達氏の小競り合いがあったぐらいで、伊達氏の捕捉は出来なく人取橋合戦が発生しなかったので非常にショボイ戦いとなって点差で敗北した。
 久しぶりにプレイして、若かりし頃に感じたことと多少なりとも成長した自分との間にゲームに対する評価や思いって言うのは変わるし、ギャップがあって面白いねと言うことで、群雄伝シリーズを短いながらも久しぶりに堪能できたように思う。

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