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2010/01/31

12月の戦い(ともよ会訪問)

 年末となりつつあるのにエキサイトしない我らの会合は果たしたどうしたものか。悶々とした日々を送っているともりつちさんからメールがやってきた。

「年末なんでそろそろ行きます」

 そうである、もりつち氏は青春18切符という手段でやって来られるだけでなく、鉄分及び山に趣味をお持ちでそれのついで(主がどっちかはわからない)で寄られることもある。
 2009年の年末も関西に来てくださることが判明していた。
 もりつちさんをはじめとするソロモングループはもりつちさん以外は関西圏に居住されているのでもりつちさんが来阪なり入洛されると総動員してこれを迎えるのが習わしとなっているらしい。
 昔で言えば迎撃OFF会的なもので、迎撃OFF会!?って言う言い方にあまりに懐かしい響きにパソ通時代の記憶が甦りそうだが、今でもそういう言い方なののだろうかな?

 おっと横にそれてしまった。

 もりつちさんが血を求めてやって来られるのにどういうゲームをしようか決めるためのツールとして槍隊リストというのをまとめている。もちろんそのリストに完全に縛られるのではなく優先的にそのゲームをしましょう的なスタンスで取り扱っているが、最近のというか前回の集まりの際に東部戦線作戦級の話が出て「激闘マンシュタイン軍集団」が面白いよとか、海外で受賞されたねとか、そのシステムを流用したゲームも面白いらしいよとか結構話が膨らんで何となくプレイしようかと言う話になっていた。
 もちろん槍隊リストでもトップというわけではないがそこそこのランクに位置しているのでじゃあやりましょうという話になった、

 今回はゲームの場をともよ会さんでお借りしてプレイする事になった。
 概ね、最近のもりつちさんはゲームをプレイする前にYSGAあたりで肩慣らしをしてこられるので半端無く錬成されていることが多い。
 これはいかんと言うことで最近は珍しく事前にプレイしてみたり、VASSALで検討してみたりするのだがそれでも追っつかないことの方が多い。もちろん僕がヘボだって言うことの方が大きいかもしれませんが。
 と言うわけで今回のゲームは自分なりにも準備したつもりなので、更には槍隊リストに高位にあげている以上朝一に出動して挑むことにした。

激闘マンシュタイン軍集団(GJ3号)
 ビジネスマンというもの約束の10分前には付いていなければならない。もちろんこのビジネスマンを帝国軍人ならばとか、男ならば、紳士ならば等の言葉に言い換えても良い。
 K中氏の夢の999号に乗って高速を使って爆走してきた我々は一番乗りを確信して会場へと乗り込んだ。

「一番乗りは我こそ!」

「ど~も~!」

 と、扉を勢いよく開け放ち、勝ち鬨をあげんと思ったら既にもりつち氏とワニミ氏が来ておられた。なんと!!
 機先を制せられた我々はさっそく押っ取り刀で駆けつけた援軍のように会場の準備を始めた。
 今回の激闘マンシュタイン軍集団は4人で分担するには小さなゲームで分担のしようがない。ということで4人いることだから2卓並べてプレイしようと言うことになった。
 組み合わせはゲーマーならではの2D6による恨みっこ無しのダイスチェックシステム。

結果、もりつち氏はワニミ氏と、筆者はK中氏と組み合わさることとなった。

「なんやいつもと一緒やんけ。」

「なんや。」

お互いを罵りあう我々。

 しかしそれはそれでよい。筆者には試してみたい事があったので、K氏相手なら遠慮無くできる。

 果たして今回の戦いは筆者がソ連軍を担当しての開幕となった。

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 序盤はソ連軍の戦線を突破するための攻撃が始まった。このゲームでは複数あるチットから行動させたい軍のチットを選択し、ドイツ軍のそれと混ぜてカップインしたものを引いて行動順を決めるという風になっている。

 ドイツ軍のチットには引いてから軍団を決めるものもあり、チットの柔軟性はソ連軍のそれに比べると高い。と言うことはチットというランダム性の中に柔軟に対応できるドイツ軍はシステム的には優位があるともいえる。

 序盤から反撃を虎視眈々と狙うドイツ軍。各方面からそりゃあアブねーんじゃないのーと言う助言を一切無視の超積極的反撃。

 ソ連軍の攻撃は一応奏功してはいるのだが、ダイス目が渋く、紙やすりで削っているような遅々たる前進。

 最も積極的なソ連軍左翼では装甲師団が投入され、分厚いソ連軍の攻撃をものともしない男気あるプレイ。

 同じく大々的に突破しなければならないソ連軍中央部は例によって好機を活かし切れない。ようやく穴を空けられたかと思ったが、その穴に重畳して投入する戦力が後方にはなかった!トハチェフスキーの亡霊が!

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 それでもまるで泥をかき分けて前進した先にはこのゲームではソ連軍なりのクライマックスがやってきた。

 左翼のドイツ軍が超積極的な反撃を試みている間に、ソ連軍はドイツ軍の装甲師団の両翼を守るべく配置されている歩兵師団を覆滅し、次第に装甲師団を丸裸にする事に成功した。

 拙いと気付いた時にはソ連軍の赤い津波が装甲師団を呑み込み包囲下に陥れ、1個師団が壊滅させることに成功した。

 機動兵力である装甲部隊の損失はゲームの行方を左右しかねない重要事項だ。さすがにドイツ軍装甲師団壊滅の報に驚きの声が上がった。

 と同時に中央部並びに右翼でも綻びが出始め、ソ連軍がドイツ軍の戦線を突破かと思われた。

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 とは言え今回のプレイはその時点がソ連軍の栄光のクライマックスだった。

 ダイスの目でなくチットの引きにも恵まれないソ連軍は悪戦苦闘の連続だった。包囲下に置いたドイツ軍を掃討するにも膨大な時間を浪費し、前線には兵力が供給されず、重大な時間的なロスを招いてしまった。

 さすがにプレイ後の懇談ではこの時点でソ連軍がもっと剛胆に突っ込むべきだったのではと言う意見が出たが、正論と思っているがチットの引き、ダイスの目の悪さにはそこまでの勇気は持ち合わせなかった。

 たしかに日本軍のように機動によって状況の改善を期すという手もあったが、このゲームのチット式というランダム性、ランダム性の中にも硬直したソ連軍と柔軟なドイツ軍という組み合わせを考えるとこの状況ではポポフ戦車軍団のように突出するだけになって大きな戦果を期待できないのではと思う。

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 ソ連軍左翼の攻撃は装甲師団を粉砕したとは言え、危機感を持ったドイツ軍の必死な巻き返しによって、それと中央部への兵力移動によって自然と前進は先細りとなった。

 中央部では左翼からの兵力移転など前線への兵力抽出が行われたが、その間にドイツ軍は機動兵力で機動防御の態勢を築き上げた。

 こうなると強力な増援を繰り出してくるドイツ軍が完全に戦争のイニシアチブを握ることになった。風船のように薄広がったソ連軍の戦線に自分の思うように攻撃を仕掛ける。

 最終的にはドイツ軍の攻撃の前に各戦線は散り散りとなり、なんとかドイツ軍の攻撃を防いでいるという状況。完全にイニシアチブを失っているので、盤面を見ても挽回の余地は全くなし。

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 もはやソ連軍の勝ちはなく、ドイツ軍の勝利も疑いないのでキリが良いのでゲームを途中で終えた。

 コンポーネントはマンシュタイン軍集団、ルールはA Victory LostというMMP社の英語版ルールでプレイした。マンシュタイン軍集団も数度プレイしたことあるが、かなり前の話になるのでどこが違ったか、プレイ感はどうだったかは今ひとつ思い出せない。

 しかし今回のゲームでもエキサイティングなゲームだと言うことは変わりが無く、その記憶は強かったので再確認することになった。

 チット引きと言うこともあって勝利の女神に見放されることもあろうが、第3次ハリコフのように劇的な展開を見せた戦いではそうであってもそう言うもんなんだと納得してしまう。また劇的な逆転劇も起こりやすいというのもこのシステムのなせるワザだろうか。

 思わずチャールズロバーツ賞を取ったのにも納得してしまった。

本能寺への道(GJ15号)

 プレイを終えた我々4名は次なるゲームを模索した。限られた時間で4人でプレイできるあるいは2組を満足させるゲームは無いものだろうか。

 そう言う視点で考えるとマルチプレイ可能なゲームというのはそうそうないものだ。

 ところがゲームジャーナル誌はそういうゲーム会でのニーズを酌んでいるんだろうか時々そう言うゲームをメイン附録として発売していることがある。

 さすがにゲーム会に参加する前は最低プレーヤー数4人とか書いてあるゲームを見て、世の中の大半を占めるソロプレーヤーや、ゲーム会に編成されない個人プレーヤーなどのことを考えていないものだと嘲笑したが、今となってはそう言うゲームも必要なんだと思うようになった。

 ゲーム会で長期にわたって1つのゲームをプレイし続けるのではない限り、大抵は1日でプレイ完了する、あるいは見切りがつけられる所まで進むゲームが主にプレイされることが多い。最近のゲーム設計もリング・オブ・ファイヤのデザイナーズノートにもあったようにプレイ時間を念頭に置いて作られることも多いようだ。

 しかし1日というのは微妙な時間で、まさか24時間びっちり使うというものではなく大抵は6時間、8時間、12時間までを指していることが多い。更には小型のゲームになると2時間4時間という短い時間で終わるものもある。

 ゲーム会の開催時間ももだいたい半日が多いのでだいたい半日で終わるゲームをメインに据えて、サドンデスや早めにケリが付いたりしたことを考えて、小さめのゲームを持っていくという事が多い。

 最初に舞い戻るが4人などでプレイする時に時間が空いたらどうするかというと、他と同じく小型のゲームをプレイすることになる。あるいは4人が等しく参戦できるゲームが望ましい。

 そんな中、筆者が発売当初から目をつけていたゲームを本ゲーム会に持参することにした。

 プレイの記事はもりつち氏の記事に詳しい。

要は織田家中枢として方面軍司令官として他の司令官と競いながら勲功をあげるか、その過程で史実の明智光秀のように主家を倒し、新たな覇者として名乗りを上げるか

今回は2戦行われた。

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 筆者は最初に柴田勝家を選択した。

なぜかみんなから「なんで?」「またそんな変な所」をといじられまくり。

柴田勝家では天下にほど遠いんだろうか。。。。

 筆者が柴田勝家を選んだ理由は以下の理由だ。

  • 下克上発生時に大軍を派遣しやすい。
  • 最強の上杉に対して重深を得やすい
  • 対する羽柴に対し正面が狭い

と言う理由からだ。
最強の敵、上杉はプレーヤー武将が操ったりするが、2人のプレーヤーが明確に柴田を滅ぼすという意図とカードを消費するので、重深と後背地を得さえすれば大丈夫だろうと思っていた。
 勝敗は柴田がメインプレーヤになることはなく織田政権下での命脈を保ったが、佐久間信盛のようになったに違いない。

第2戦目は

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 筆者は徳川プレーヤー。今回は毛利氏を圧迫することに成功したK氏の羽柴氏が大暴れ。これを食い止めようにも、もりつち明智氏の策謀によりワニミ柴田氏が上杉謙信の猛攻で壊滅。
 実は羽柴氏を止める大名を操れるのは筆者徳川氏とワニミ柴田氏で、柴田氏の早期脱落は羽柴氏にとって朗報だった。後顧の憂いをたったK氏羽柴氏はあっと言う間に毛利氏を蹂躙していった。
 それに危険を感じた明智は本能寺の変を起こし勝利を我がものとしようとしたが、羽柴氏徳川氏の猛攻を防ぎながらの本能寺は結局、最も最大勢力を得ていた羽柴氏が握ることになった。

 このゲームは手軽にプレイできるので4人戦では重宝できる手堅い内容だと思います。新戦国大名もそうですが、最後までに事を始めないとならない、あるいはそうなってしまうと言うのはダレを防ぐ意味でも良いと思います。



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コメント

どーもです。コメントありがとうございます。充実のゲーム月間だったんですね。3月またお会いしましょう。

どーもです。その節はお世話になりました。
12月の場合、鉄1、山0、ゲ9の割合でした。
「激マン」は楽しかったです。
またプレイしましょう。
ではでは。

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