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2010/02/28

1月の戦い(2010年)その2

はい。

続きです。

 先日のワニミ一家から受けた衝撃を盟友・K氏に伝えようと我がホームグラウンドへ舞い戻ってきた。

 40キロ以上もの距離を走り抜けてマラトンの。。。ではなく数キロ先のK氏宅にて事の顛末を話すと、K氏は煙草を燻らせながら、小学生に敗北した筆者を修羅の国のボロのようにさげすさみ、さらにはお前には積極性がないとか、遠くが見えていないとか、2リットルのペットボトル買ってきたかとかどうでも良いようなことまでマゼコゼにして怒られてしまった。

 さて、一席終わった所でゲームをプレイすることになった。

前回案内したとおり

  • GJ  文禄朝鮮の役
  • VPG ヴェリタブル作戦(Operation Veritable)

 がプレイされた。

 GJの文禄朝鮮の役はもりつちさんがプレイして好感触を掴み、対戦決定ツール「槍隊リスト」に掲載されていたゲームだ。

 VPGのヴェリタブル作戦は45年の西部戦線という終わった感の強い戦線で、しかも英軍が主役という珍しいテーマだ。

文禄朝鮮の役(GJ31)

 今回のお題はGJ誌から発表された「文禄朝鮮の役」だ。朝鮮半島テーマというと憚れるモノがあったが、サンセットから発端となったエポックの「朝 鮮戦争」の再版やCMJ誌から「Inchon: MacArthur's Gambit」などの朝鮮戦争物のを皮切りに、同じくCMJからは秀吉の朝鮮侵攻を扱う「文禄の役~秀吉最大の敗北~」やGJ誌からは古代朝鮮半島での介 入戦である「戦略級白村江の戦い」など国内出版社から日本史テーマとして出版が相次ぎ、もはや日本史ゲームの1ジャンルとして確立しつつあった。

 朝鮮の役は長らくデザイン化が待望されており、CMJでミニゲームながら「文禄の役」が発表された後もGJ誌側のCDS朝鮮戦役が望まれていた。

 そんな中発売されたのが「文禄朝鮮の役」だ。待望の信長最大の危機システム、加藤清正が活躍すると聞いただけで食指が動く御仁もおられるのではな いだろうか。関ヶ原ではヤル気がなかったあの人も、関ヶ原ではいなかったあんな人まで活躍でき、大明帝国との一大野戦まで敢行できるという魅力もある。

 今回はK氏が日本軍、筆者が明・朝鮮軍を担当した。

 釜山には日本の大軍が大挙として押し寄せてきた。この三百数十年後に国連軍の橋頭堡となった。日本と近いと言うことだけでなく貿易港としてだけでなく近隣の鎮海と並んで良港が多いがゆえだろう。

_igp9151

 加藤清正や小西行長など戦意も能力も高い武将を中心に先鋒の軍団を編成し、突進を開始する。K氏と言えば「如何に効率的に」を座右の銘としている節があって、編成作業にも漏れがない。

 パワーのある軍団がアクティブとなるともはや序盤の明・朝鮮軍には止める術がない。無人の野を征くがごとく、日本軍の先鋒は在地の朝鮮軍を粉砕して前進する。このゲームではイベントカード以外では籠城戦ができないので多勢に無勢の朝鮮軍は各地で撃破されてしまう。

 あっと言う間に漢城(現ソウル)へとコマを進める日本軍。後続の日本軍は戦意を低い者や野戦能力が低い者を中心に掃討戦として各地に残る朝鮮軍を攻撃した。

 漢城までコマを進めると日本軍は二股に分かれたルートをどうするかという難題を突きつけられることになる。勝利するためには咸鏡道へ分け入り朝鮮二王子捕縛という勝利得点を狙うか、平安道へ分け入って大陸から来襲する明軍に先制攻撃をかける体勢を築くか、漢城からどちらかのルートに分け入るも、真の力点は国内で跋扈する朝鮮義軍の討伐とするか。またはそれ以外。

 今回の対戦では日本軍の前進は順調で、ヤル気の高い加藤清正と小西行長が突進の先頭となり朝鮮半島奥深くへと突き進んだ。漢城奪取後は加藤清正は朝鮮二王子を追い咸鏡道へ分け入り、小西行長は忠清道などで朝鮮義軍の後方攪乱に対応し、黒田長政が漢城で明軍を待ち受ける事となった。その他にも宇喜多秀家が慶尚道、福島正則を全羅道などと朝鮮義軍対策に機動反応部隊としてサーチ&デストロイというまるでベトナム戦争を見るかのような布陣であった。

 この体勢が明・朝鮮軍に大打撃を与えたかというと確かに有効に対応うてた所もあったが、福島正則の全羅道では正則自身が傷つくほどの激戦で、更には最後まで鎮圧に成功しなかったなど行き先に暗雲がたれ込み始めた。

 さらに咸鏡道へ突き進んだ加藤清正にも不幸が舞い込んだ。行軍数の判定で連続して行軍数を獲得できず、後方を遮断される危険性がありながら遅々とした前進となってしまった。当然そんな遅々とした前進や反転を見逃すわけもなく、退路を遮断するように義兵が挙兵する。

 そこは黒田長政隊から分離した島津隊を黄海道へ進めてこの方面からの明・朝鮮軍の閂とし、自称イゼルローンとか訳のわからない名前をつけて挙止する算段であった。黒田隊は加藤隊の退路を確保するため咸鏡道へ救援に赴くこととなった。

 加藤隊の救援に成功した日本軍はまたもや絶体絶命のピンチがやってきた。黒田隊・島津隊を前のめりに使ってしまったので、漢城のある京幾道から湧いてきた朝鮮義軍が集合し漢城を奪回され、日本軍の連絡線がまたもや危機に瀕することになった。更には島津隊の前面には明軍の先遣隊が顔を出し、もはや腹背に敵を抱えることとなった。

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 かなりの打撃を負いながら日本軍は漢城の奪回成功したとは言え、行軍数が弾けてくれない加藤隊、黒田隊は未だ後退中。また南部での朝鮮義軍の活動はもはや小規模な軍勢では返り討ちに遭うまでに成長し、連絡線を絶つなどの妨害行動だけでなくエリアの奪回など日本軍の戦略に大きく影響を与えるまでになっている。

 北部での遅延、南部での疲弊は日本軍の打撃部隊の消耗を意味した。無慈悲にも平安道から南下してきた明の大軍が遂に漢城へと迫る。

「動けるヤツがおらんのや-。」

 嘆く日本軍のK氏。ダイスが奮わないとは言え、未だ強力な武将は健在だ。史実の碧蹄館の戦いのように侮っていると手痛い打撃を喰らうことも考えられる。

 南部では全羅道では福島正則が討ち取られ、忠清道でも小西隊などを撃退し、もはや全羅・忠清両道は朝鮮軍が確保することとなった。さらに咸鏡道の加藤・黒田隊は朝鮮義軍にまたもや封鎖され、更にその対応を強いさせられることとなった。その間にも着々と明軍の集結は進み、戦いは次のステージへと移行し始めた。

 日本軍は脱出のための戦いとイニシアチブを握り直すための戦いを平行して行った。加藤清正は後方を遮断する朝鮮義軍を撃破し、漢城をすり抜けて慶尚道へと舞い戻った。小西隊などは忠清道の朝鮮義軍を打ち破り、これ以上の脅威を取り除いた。宇喜多隊も慶尚道の討伐で成果を上げ、ようやく日本軍が一部を残し慶尚道を中心とするスタート地点で仕切り直しを画策した。

 が、戦いの帰趨を制したのは明軍であった。これまでの戦いで疲弊していることを察知した明軍は集結が完全ではないが今この好機を活かさないと出血が増えるのみと判断し、慶尚道へと駒を進めた。

 一度目の進入では未だ勢力を保持する日本軍により撃退され、南部の朝鮮義軍に至っては小西行長の前に敗走させられた。小西行長はこれまでの日本軍敗勢の鬱憤を晴らすように全羅道を荒らしまくり、逆に忠清道へ手が届く所まで進軍した。

 その小西行長の小気味の良い反撃も長くは続かなかった。明軍の分遣隊に痛打を加え勝利の美酒に酔いしれていた所、既に今まで来た道は奪回され後背が遮断されており、出血覚悟で死中に活を見いださなければならないという状態で、同じく咸鏡道から秘密裏に南下して合流をはたさんとした黒田隊も朝鮮軍の重囲に陥る始末。小西隊はなんとか収容できたが黒田長政は討ち死にとなった。

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 最終的には日本軍は慶尚道を維持することができたが、既に峠を越えて浸透され明軍の大量流入は日を見るより明らかであった。ゲームは筆者率いる明・朝鮮軍の勝利となった。どこかで既視感があると思えば、朝鮮戦争とよく似ているなあ。

 ゲームは両軍が自軍の問題点、ハイローミックスを抱えているのと、どう戦争を組み立てるかという所が面白く感じました。関ヶ原で活躍できなかった武将を縦横無尽に戦わせるという楽しみもありますが、ゲームデザインでもであまり出てこない明軍を率いられるというのも大きなポイントでしょうか。 

VPG ヴェリタブル作戦(Operation Veritable)

 さて1ゲームを終えると少し時間が余っているというのが最近多いパターン。これはやはり最近のゲームがプレイ時間を大きく意識している作りになっているのか、昔のゲームに比べ大抵フルターンをプレイしてもさほど時間がかからないのが多い。これはこれで良いのだが時として消化不良にもなりかねないので違う作品をプレイする事にした。

 標題にもあるようにVPG、ビクトリーポイントゲームズという家内手工業的な手作り感満載のコンポーネントとシンプルなルールにミニマップでミニゲームというどこかで聞いたことのあるゲーム群をリリースするゲーム会社で、さらにはリリース数が怒濤とも言え、気がつけば50タイトルに迫る勢いだ。家内手工業的とは言えそれほど悪いものではなく人によっては自作ユニットよりはるかに出来がよいユニットであろう。

 はたして本作はどういうゲームなのかというと、1945年オランダ方面に展開していた英連邦軍がナイメーヘンからラインラントへの進攻作戦(ヴェリタブル作戦)を扱う。

 バルジの戦い以降は注目度が低くなるのであまり知られていないが、ゲーム化もされたグレネード作戦と同期して行われた作戦でロアール河の決壊などであまり進展しなかった作戦でもある。本ゲームではその中でもライヒスシュバルトの戦いを扱い、範囲はナイメーヘンからクレーフェ、ゴッホまでを地図では収めている。

 システムは連合軍、ドイツ軍の順番に行動し、毎ターン行動は移動を先にするか戦闘を先にするか決定できる。ZOCは進入と離脱にコストがかかり、離脱の際にはモラルチェックが必要。スタックは2個までで同一師団や配属部隊などでスタック数の上限が拡張する。

 移動は強行軍有り、戦闘はオッズ式修正はシフトなどと口頭で説明されても十分にプレイ可能なレベルだ。

 勝敗は後方にあるクレーフェやゴッホの占領や盤外突破で、ドイツ軍が戦略予備を使用しても得ることができる。

 戦いは筆者が独軍、K氏が英連邦軍を担当することになった。

 戦いの推移は英連邦軍の攻撃は航空修正など、攻撃特典を全て揃えて独軍前哨部隊に攻撃開始、あっと言う間にこれを撃砕する。

 独軍は遅滞戦をするつもりだったが、思ったよりも崩れるのが早すぎて前のめりに配置した部隊が英軍に絡め取られる。

 このまま行くと間違いなく左右の間隙を縫って後方のクレーフェ、ゴッホの占領、さらには盤外突破などと大量得点される恐れが発生した。

 ここで得点を失うのは承知で戦略予備を投入し、滑り込みで戦線の強化に成功した。

 

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英軍は水浸しになって走り抜けにくい独軍右翼からのクレーフェよりも陣地隊に守られているもののスピードを活かせば出し抜けるゴッホへと指向しだした。

 それは既に織り込み済みであったので降下猟兵や装甲擲弾兵を走らせて防備に付かせることに成功。さらに何故かルフトヴァッヘの支援も得られ英軍の攻撃は頓挫。クレーフェもゴッホも落ちることなくゲームを終了することとなった。

 勝利条件的にはドイツ軍の戦略予備使用のみ得点となったので英軍の1VP。しかしこれはドイツ軍の勝利となり最終的にドイツ軍の敗戦は避けられないものの戦いぶりは語りぐさになるであろうという結果となった。

 ゲーム的には補給のルールは緩いが勝利条件の盤外突破や補給状態では道路に縛られるので東西に走る2本の道路しか使用できないので自ずから攻勢軸が限定されてしまう。よって展開に幅がないとはどこかのゲーム雑誌で書かれた評価で確かに幅がないかもしれない。とは言えこの規模(A4より一回り大きい)では酷かもしれない。

 まあパッとプレイできるゲームは貴重で45年西部戦線作戦級もそう多くないので英軍ファンや降下猟兵ファンはマストバイか??

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