6月の戦い(2010年)その4
近日に山科会αが開かれることになった。山科会というのはオープンな例会ではなくTHEN WHAT?友の会とか呼ばれるようにクローズドな環境下で行われる我々の例会だ。
オープンにしない理由はそれこそ個人宅を使っているからであり、招待されるメンバーというのは厳選される。
と、書いてしまうと京都の一見さんお断り的なものを感じるやもしれないが個人宅だから仕方がない。
過去にオープン例会を画策したこともあったが、人数が集まらない、ペイしないなどの理由で見送られた。
個人宅と言うこともあって融通が利く所、無理ができない所があり、その辺で敬遠される向きもあるが、実は筆者のゲームプレイでよく名前が出てくるようになったソロモングループの方々との絡みで、会場をどうするかと言うことが常に取りざたされていた。
今回は我々の山科会が開放できプレイする事になった。
ただ、山科会は座卓であるので長時間畳に座るのが苦痛な方にはつらいので、今回はテーブルを購入し爾後のプレイに供することになった。
「あ~もしもし」
「なんえ」
「テーブルの件やけどIKEAで買おうと思っているんだけど..」
「え~そうなん?」
「ナンボ出せる?」
「折半で目の玉が飛び出るくらいでなかったらええで。」
「あ~そう。今度の日曜一緒に見てくれへんけ?」
「ええけど」
と言うことで薄ボンヤリ聞いていてIKEAみたいな北欧デザインなんてそこまで凝るか~と思った。更には関西で近隣には大阪にあり、なんでそんな長旅をと思っていたら、
「六地蔵で」と言うのが聞こえたような気がした。
六地蔵と言えば伏見城跡の東っ側で目と鼻の先だ。そんな所にIKEAなんてできてたっけ?と自らの不明を恥じて当日を迎えた。
さて着いた先はイズミヤ。あれれ~ニトリやんけ~
何をどこで聞き間違えたのやら~
と、言うわけで待望のゲーム専用テーブルを購入し、手配を済ませ昼食をとりながらおもむろにK氏が切り出した。
「で、なにすんね?」
てきっり次の山科会のことかと思ったらこの後何をするかという質問だったらしい。
ならば刃を交えんと言うことで大急ぎでゲームを用意し、戦端が開かれた。
燃えよ!姉川の戦い(GJ)
実はこのゲームは大いに興味を抱いていた。日本史の合戦ゲームはあまり種類が少ない。もちろんこのジャンルは辛口なユーザーも多く、なかなかポピュラーな作品が出てきていないようだ。
そんな中ミニゲームあるいはカードドリブンをたくさん出していたゲームジャーナル誌から発売されたのが本作。名前の通り姉川合戦を扱うという希有なゲームだ。
システムはターン毎に修正のあるイニシアチブ、移動力をまとめて判定し、それぞれの軍がそれに引っ張られて行動をする。
先頭は基本ダイスパワーだが水準値が2種類あって軽損害、重損害などと損害を与えられ、損害を受けた側は士気チェックで結果を出すというもの。
概ねチャートを眺めると序盤は浅井朝倉軍がイニシアチブを握り、移動力が下駄を履かせられるに対し、中盤以降は織田徳川軍が取りやすくなるという風になっている。
戦闘後前進が強制されるが、突破した部隊と扱われ後攻側は攻撃できなくなり、次のターには+1攻撃力与えられるという仕掛けがある。
また武将の指揮範囲にいなければ攻撃する時には可能かどうかの判定をしなければならず、はからずも武将の少ない浅井朝倉軍はキリのように突破しがちとなる。
ゲームでは筆者の希望で浅井朝倉軍、K氏が織田徳川軍となった。
第1ターンは自動的に浅井朝倉軍が先攻で、移動力は既に固定されていてかつ有利な修正が付く。更には織田軍からは反撃を喰らわないという。
攻撃と言っても指揮官の士気範囲内でないと攻撃できるよチェックをしなければならない。その可否チェックは2ダイスで士気値で判定するので失敗する可能性もある。従ってできるならそういう攻撃は避けたい所だが、ここぞという所には使わざるを得ないのだろう。
今回は1ターン目の優位を最大限活かし、躓き無く戦いたかったので士気範囲内で攻撃することにした。磯野員昌を中心とした第一波の攻撃だ。士気の高い先鋒の攻撃プラス優勢修正を得て織田方の坂井隊をあっと言う間に半壊させ、第2陣池田恒興隊に迫る。
第一波は優勢修正を得たと言っても川越だったのと更に第1派3ユニットの攻撃であるので第2派以降こそが本命と言えるかもしれない。
突破に成功した3武将は敵からの反撃を受けない戦闘後前進をし、次ターンに備える。
逆に朝倉VS徳川はと言うと士気の高い徳川氏を攻めあぐねる朝倉の第1派、しかも第1派は攻撃が不調で松平某から反撃を喰らう始末だ。
前ターンの戦果とターン後との修正値がイニシアチブに大いに作用する。当然次のターンも浅井朝倉軍がイニシアチブを握り先攻となった。移動力も充分だ。対し、織田軍等の移動力はと言うと目を被いたくなるような1という判定。本ゲームでは敵ZOCに侵入するのに+1ペイしなければならないので、事実上自ら形作った反撃はできなくなった。
第2派は第1派の右翼に接続し、あたかも雁行の陣形となった。
いわゆる斜行陣で、狙いは士気の高い武将が敵陣を突き崩し、浮き足だった残余を右翼の第2派が仕留めるという算段。仮に第1派が疲労したり消耗すれば後方に控える第3派等が後を詰めるというもの。
狙い通り池田隊も半壊し、坂井隊の残余は一掃された。次は木下秀吉の隊が控えている。
今回浅井軍以上に戦果を上げたのかもしれなかったのは朝倉軍の方だった。突出する徳川軍を逆撃し、更には徳川陣中へと切り込んでゆくものもあり、越前兵ここにありと大音声をあげて三河兵を驚嘆せしめた。
徳川軍も負けじと反撃で川を挟んでの一進一退だ。
被害こそ朝倉軍の方が多かったとは言え、その衝撃は徳川勢を驚かせるに充分だった。なんと大将の徳川家康の陣前に朝倉軍の軍旗が見えるではないか!
とは言えそこは朝倉軍、史実のように押し合いへし合いをしている最中に横合いから殴られて浮き足だって潰走ってなるのではと思っていたのだが。
その次のターンも浅井朝倉軍がイニシアチブを取り、張り切って攻撃。
木下隊は中々堅く、といっても半壊状態となっているのには間違いないが段々と進撃スピードが落ちている感じがした。
しかし右翼の第2派等の後続部隊が池田隊の残余などをキッチリと始末するので着々と得点を得ている。
得点を得るとどうなるかというと裏崩れ判定という軍勢の劣勢等の時に流言飛語等による動揺を表すルールで、裏崩れ判定1では混乱している部隊が、裏崩れ判定2では通常状態の部隊までもがその影響を被って士気チェックを強制される。
今回の浅井軍の攻撃は苛烈であったのであっと言う間に裏崩れ判定1を獲得し、織田軍が動揺が走る。
更には順当に行けば撃退されるはずだった朝倉軍がヤケに頑張り、徳川軍の三河衆を押し返し渡河に成功し、完全に四つに組んで戦っている状況でここで織田徳川軍には悲報が飛んでしまう。
大事な徳川家の武将の喪失だ。
戦闘の勝利、戦闘後前進の強制、イニシアチブの浅井朝倉軍の保持、敵中孤立と言う構図でいつかはそうなるであろうと思われたが遂に起きてしまった。
徳川軍のユニットは個々の能力が高いが数は少なく、一つでも失われると大ダメージだ。
さらにこれにより裏崩れ判定2の条件を満たしてしまい、両軍共々動揺が走る。特に突破されつつある織田軍は致命的な判定となってしまった。
連鎖的に発生する士気チェックは重深を形成していた織田軍の陣を襲った。
士気チェックにより一気にユニット壊滅による得点を得、更には敵陣はズタズタさらにはイニシアチブは浅井朝倉が握って離さず、対する織田徳川軍は移動力が奮わない。
もはや生けるサンドバック状態。
この機を逃す手はないと雁行の陣形だった浅井軍は一気に予備隊を投入し、横隊で押しまくる。浅井軍の濁流により木下隊は消滅し、その背後の柴田隊もフラフラとなった。
このターン実に7箇所も突破に成功し、織田軍を圧倒。後は森隊、佐久間隊を抜けば織田の本陣はもうすぐだ。
浅井軍と比し、苦戦が予想された朝倉軍は徳川軍という強力な軍団に数でジワジワ押している。
しかし徳川軍は堅い。士気値が9などであるので中々後退しないし、士気チェックも楽々通過だ。更に書き加えれば移動力ボーナスとか連絡線ボーナスとか得点だらけで特殊部隊かいというくらい精強だ。
崩れるわけ無いと思っていた。
このまま横綱相撲で寄り切るかと思われたがここで織田軍が健闘を開始、遅すぎた感はあるが森隊が奮戦し、更に佐久間隊が援護し勢いが削がれる。
朝倉側でも徳川軍の反撃で死傷者続出し、遂に姉川のターニングポイントがやってきたかと思われた。
ついには史実の再現が始まるか?
あと少しで織田信長が見えてきたのに。
耐える森隊、佐久間隊の奮戦と柴田隊の犠牲、さらには横合いから救援に来た稲葉隊によって木下隊が消滅した時のような勢いは浅井軍から消えてしまった。
後続の超越前進(実際には超越していない)という手段によって浅井長政自らも陣頭に立ちつつ攻撃だ。
朝倉軍側も本田忠勝が敵中突破を果たし朝倉軍本営まで迫りそうな勢いだ。
筆者などは完全に潮目が変わったと感じたが、対するK氏は序盤より続くあまりのダイス目の悪さにふてくされて悪態をつく有様だ。
未だ浅井軍の損害は出ておらず、対して織田軍はほぼ崩壊状態。佐久間隊、信長本隊を除けば城攻めに行っている連中を残すのみでもはや後はない状況。
佐久間隊、森隊の前線は特筆すべきであろうが前線崩壊状態となっているK氏にとってはあまりのダイス目の悪さに反撃すらもままならぬようで、時間が過ぎてゆく。
筆者はタイムテーブルを見て焦った。このまま行けば織田側のイニシアチブがとれやすくなりつつあり、そろそろ攻勢限界を感じ始めていた。
徳川家康と対する朝倉軍は本田忠勝や榊原康長などの四天王勢の奮戦で損害が積み重なりつつある。運がよいのはイニシアチブの判定でなんとかこちらサイドが保持できたことだろう。
遂にこの時がやってきた!遮二無二突進する浅井軍は遂に2ターンもの長きにわたって突破を挙止続けた佐久間隊、森隊を四散させ、信長本隊との接敵となった。
信長本隊といえども数度にわたる裏崩れ判定で疲弊し、その兵力は半減してしまったがあと少しで最後の決戦となりそうだ。
しかし浅井軍の勢いもかなり減退し、四散した佐久間隊などは再度集結復活し、織田本隊の間に割り込み中々前進できない。
さらには朝倉側でも重大な状態になりつつあった。
今まで押していた朝倉軍がポツポツと撃破され、損害が累積しだした。
徳川四天王の本田忠勝に至っては朝倉軍の総大将朝倉景健に隣接する所まで前進し、大将討ち取りを狙う勢いだ。
実際我が軍は重大な危機だったが、徳川軍の攻撃は奮わず乾坤一擲の状況は消え去った。
あまりの攻撃のダイスが奮わなかったというのと朝倉側の士気チェックが冴えていたので全くの被害無しとなった。
K氏のフラストレーションは溜まる一方。というかもはや「俺は何してもダメな子だ!」とか「僕は不幸の星の下に生まれたんだ~」の状態だ。
本来なら朝倉軍の撃破などでイニシアチブを奪取した織田徳川軍、満を持した反撃と言いたい所だが、ここでも移動力の判定は低すぎ、華麗なる機動をすることはできなかった。
今まで横山城を攻める部隊の一部を援軍として移動させていて背後から突くつもりが隣接をも叶わなかった。
いい所配置転換を果たしたぐらいだ。
続くターンは当然のことながら浅井朝倉軍が奪取し、織田軍陣前を猛攻したさる部隊は織田信長前面まで躍り出て遂に幕を引く段階までやって来た。
朝倉軍側もなんと物量攻撃で本田忠勝を討ち取り、朝倉ファミリーの攻撃により徳川家康と隣接する大須賀氏を撃退し徳川家康が朝倉軍の濁流に揉まれることになった。
三方原以来の敗戦だ。
あまりの惨事にK氏は戦意を喪失し撤退を選択し、本戦の幕を引くことになった。
非常に興味深いデザインの合戦級ゲームと感じた。
戦勝すると戦闘後前進を強制され、次ターンの攻撃力UPになるかもしれないとか、突破したユニットは敵の反撃の目標とできないとか、一度戦闘すると二度目の先頭は側面から当たられているものとして横槍という不利な修正が付くこと、攻撃に失敗すると反撃を受けること、イニシアチブの判定時に移動力を判定する判定を兼ねること、攻撃は指揮官の指揮範囲にいなければチェックが必要だったり、ユニットによってはその必要が要らなかったり、ボーナスが付く武将がいたりなど従来の合戦級ではあまりなかったルールの組み合わせに新しい時代の合戦級を見たような気がした。もちろん判定に判定を重ねるというような感じがしないでもないがそれは従来と比べての量の問題で、それほど多く頻繁と言うほどではない。
今回はK氏があまりにダイスが偏りすぎていたので織田方が殲滅されてしまったが、そもそも合戦クラスとは一度状況が傾くと恣意的なルールなどがない限りそのバランスの逆転は難しい。その場その場での一喜一憂を如何に楽しむかという所に合戦級会戦級の楽しみがあるわけで今回のプレイが標準的な姿というわけではないので注意されたい。
他の合戦にも応用されるのかなあ。
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