5月(2012年)山科会の活動その3
念願のインペリウムを終え、軽い疲労感と達成感を感じつつ少しの休憩を挟んで次なるゲームに向かった。
一度SFなゲームを挟んでしまうとその日はヒストリカルなゲームをするのに抵抗感が生じるというわけではないが、
何でもありになってしまう。
今回は筆者の希望としてはインペリウムが第一の希望というわけでは無かったので、他にも色々興味深いゲームを用意をしていた。
その中でも最近発売されたコマンドマガジンのゲームは今までの常識を覆すゲームだったのでこれをプレイしないことには、と思い今回持参してプレイにこぎつけた。
なんの常識かというと、従来ウォーゲーム界ではセールスが芳しくないと思われたせいか戦国三英雄と武田信玄を外す戦国時代を扱うゲームは希有であった。
数少ない例外がツクダの戦国群雄伝シリーズ中の、奥羽の覇者(伊達政宗)、西国の雄(毛利元就)、九州三国志(島津義久)だった。
これら3作品の内、伊達政宗と毛利元就は発売当時あるいはそれに前後してNHKの大河ドラマがあったことで一応の知名度と売り込み要因が何となくあるという状況で、
九州三国志に至ってはメインシナリオとも言うべきシナリオが3人プレイゲームだったという珍しさがある。もちろん戦国群雄伝シリーズは最終的に日本全土で関ヶ原戦役をするという為、
エウロパシリーズのように半ば惰性でも出さざるを得ないところがあったのかも知れない。
そんな中、そんな決まり事のような常識を「そんなの関係ねぇ!」とばかりに切り込んでいるゲームが発売された。
コマンド104号の河越合戦だ。
河越合戦(CMJ104号)
河越合戦とは戦国三大夜襲の一つで、北条家が関東の地でスターダムとなる第一歩となる戦いだ。
桶狭間、厳島と並ぶ奇襲戦として名高いのと北条氏が主役というだけあってゲーム化しにくかったのであろう、今回初見のテーマとなる。
この合戦は奇襲戦と言うだけで無く、城攻め、大軍勢対小軍勢他にも難しい要素は山のようにある。
さらには知名度とも戦わなくてはならない。
各ユニットはなにがしかのフォーメーション(軍勢)に属し、それらを活性化させるチットを引いて行動させる。
大軍の古河公方方(反北条)は大軍であるのでチットを選択しなければならないので動けない軍勢というのが常に出てくる。
チットには軍勢全てが動けるチットと軍勢の中にいる大将(部将)の指揮下にいるユニットのみ動けるチットや特殊なチットがあるので、それらを適時選択する。
第1ターン
北条チット
いきなり北条手番だ。
北条軍は盤外から侵入する。
北条軍は手近な山内上杉家に突撃を開始!
背後から攻められた総大将の上杉憲政いきなり危機!配置の具合もあるが北条方の軍勢はモンスターかというような勢いで斬りかかってくる。
扇谷上杉家のチットが引かれた。
遠巻きに城を包囲しているので山内上杉軍に北条軍が乱入してきているとはいえ前進。
山内上杉の部隊がやられると次はこっちとわかっていても進まねばならない。
山内上杉家チット
いきなり乱入して生きた北条軍の対応に離脱をはかるため逆襲するも案の定撃退さる。
やる気満々な北条軍の前には積極的な対応と言うよりはそれに付き合って時間稼ぎをする。
古河公方チット
こちらも遠巻きであるので間合いを縮めるため前進。
北条家チット
既に乱入を開始しているので山内上杉を攻めたてる。
総大将の北条氏康が上杉憲政に斬りかかってきたが何とか乗り切った。総大将同士が斬り合うなんてなんだか講談の世界の川中島みたい。
第2ターン
古河公方チット
早速隣接する城内の福島弁千代を攻撃しステップロスさせる。
大軍である故に数頼みの平押しで籠城兵を疲弊させる作戦。
まさか城内に潜む将兵の内部将が傷つくとは予想外。
北条チット
今となっては山内上杉家攻撃にドップリはまっているので、何とかして抜け出すためにも早期の壊滅を目指す。
総大将上杉憲政一点狙いで追撃。やはり強力な北条勢の十重二十重の突っ伏しに憲政討ち死。
「ああ、謙信に管領の座が。。。」
さらには部将クラスの長尾憲長もステップロス。
もはや山内上杉家は四散するか。
山内上杉大将チット
今回というか前ターンより北条の攻撃が山内上杉家にあてられたと言うこともあって、投入するチットは山内上杉家全体が動けるチットと部将の指揮下のみ動けるチットの2つを投入し、北条からの離脱と時間稼ぎを考えた。
しかし先に北条チットが出てしまって総大将の憲政が討ち死にしたとなってはちょっとタイミングが悪い。
川越城を攻撃するも失敗。
山内上杉チット
手遅れ感が漂っているが少しでも地獄への道連れを増やすためにも近隣の北条ユニとを攻撃し北条2ユニットに打撃。
北条チット
もはや山内上杉家には用がないようだ。離脱をはかるため突撃で長尾憲長が討ちとられた。
第3ターン
扇谷上杉チット
城攻めで敵に打撃。残る古河公方の軍勢と扇谷上杉家の軍勢で早期の内に河越の城を奪取するのが肝要。と脳内軍議でそう決まった。
もちろん裏からやってくる北条氏康の軍のいいようにやられるのはわかっているので、戦線拡張し北条方を妨害する挙に出る。
北条チット
早速、扇谷家の太田資正に引っかかる。
扇谷上杉大将チット
今回はもっとも川越城を攻めやすい扇谷家のチットを多めに入れておいた。
先頭の部将に率いられた攻城戦は失敗に終わり、いよいよ北条軍の足音がひたひたと近づいてくる。
山内上杉チット
残存する山内上杉家は総大将の意志を継ぎ、仇討ち!とばかりに遮二無二川越城に突っ込む。
その形相は鬼神のようであったと伝えられる。そのためか敵はステップロスとなった。
北条チット
太田資正に御執着のよう。えらく絡んで倒したいようだ。もしかして道灌と勘違いしている??
それともただ単に有名な長野業正と同じレーティングだから目の敵にされた??
第4ターン
北条チット
北条軍の増援がくる。山内上杉家の背後から進入。
山内上杉家の残党をも覆滅する算段だろう。
これはひどいことになってきた。
部将の長尾憲景にダメージが与えられ、攻城軍が蹴散らされる
山内上杉チット
先んじて攻撃されたため為す術なし。もはや回復のみ。
扇谷上杉チット
攻城戦にてようやく城に突入!!
古河公方チット
こちらも攻城戦にて城に突入!!
北条チット
山内上杉家の長尾憲景討ち死。
城内の部隊の反撃で古河公方の突入部隊が押し戻されはじき出される。
なんと残念。しかし扇谷上杉の軍勢がまだ健在である。!!
第5ターン
北条チット
「なんじゃ!いつもいいタイミングで出やがって!」
扇谷上杉家の部将難波田が討ち取られた。
既に山内上杉家と扇谷上杉家の隙間から接近していた北条氏康が入城を果たす。
扇谷上杉チット
全くタイミング失した登場。せいぜい兵を整理し次に備えるのみ。って次ってあるの??
古河公方チット
隣接する地形が厳しく城攻め難しく失敗。古河公方の軍勢は図体ばかりでかい上に悪路を進んでいるので遊兵となりがち。
非常に駄目な配置だが彼らのやる気のなさなのだろう。
北条チット
山内上杉を掃討する。扇谷上杉側で攻撃されなければあとは山内上杉側を押さえられれば、もはや城攻めされて窮地となる心配はない。
悪路から進む古河公方は全力では当たれないのでその間隙を突いた反撃も可能であり、何より攻撃される正面が減り対応が楽となったといえるだろう。
扇谷上杉チット(先にも出ているのでどちらかか大将チット)
ちょっとした攻撃をするがもはや戦局に影響なし。
第6ターン
北条チット
戦国の時代には戦功の証として名のある武将の首を取るという風習があったようだ。
さすがにそんなにしょっちゅう名のある武将など討ち取れるわけもなく、そうでもない首も多数あったであろう。
また討ち取れたとしても戦場で討ち取った首を多数ぶら下げてウロウロするのはさすがにホラーであったろう。
しかし敵武将の首を取るというのは戦功確認としてはわかりやすい。勝利条件でも名のある武将を除去すると得点が高くなっている。
となると勝ちが決まりかけている側は戦功をさらに上積みするために仕事人狩りならぬ残党狩りにいそしむことになる。
ターゲットは山内上杉家。総大将の北条氏康先頭に残党狩りにいそしむのは勝者の余裕か。
長野業正を刈り取ることに専心する。
扇谷上杉大将チット
最後の城攻めか。北条本体が加勢しているのでもはや鉄壁の守りである。
北条勝った勝ったチット
ゲーム中1回だけ投入できる特別チットで、籠城軍の吶喊を再現する。北条綱成などのユニットが移動力倍になったり戦闘力が倍加したりとクリティカルなチットだ。
それによって長野業正戦死!ああ!武田信玄との名勝負が!!
扇谷上杉チット
破れかぶれの1:2攻撃乱発したが、当然戦果は上がらず。
山内上杉チット
またもや先んじて攻撃され続けすることねーの状態。
6ターンが終わった。得点計算をするとその差42点もの大量得点で北条方大勝利となった。
なんだかんだ言って反北条側も得点上げていたがそれでも追いつくことはなかった。
ルールによればいわゆる「史実通り。」とのこと。
関東の著名な戦いと言えばたくさんあるが、その中でも攻城戦・奇襲戦を扱った本作は希有な存在。
ルールも難しいところはなく、河越合戦にさえ興味が湧けばすぐにでもプレイできるだろう。
ゲームの規模は戦術(会戦級)的要素は薄いが、同じく戦略的要素(盤面のどう攻めるかとか言う戦略にあらず)も薄く、中間的な作戦級的な楽しみ方ができる。
戦国群雄伝よりは細かいレベルを扱いながら、戦国合戦シリーズよりはざっくりとというのはユニークなポジションだなあと感じた。
射程や士気チェックがないのも会戦/合戦でありながらのシンプルさに寄与しているといえるだろう。
こういうタイプであれば他にも続編が期待されるところである。
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