9月(2012年)山科会の活動その1
相変わらずいきなりゲーム会が始まってしまうのは定番といえるが、またもや突如としてゲームをすることになった。
今回も前回と同じく普段できないゲームを色々プレイしてみることになった。
とは言えいきなりプレイする関係上綿密なブリーフィングが要求される。
今回プレイしたのは何作か持って行ったアゲインスト・ジ・オッズ誌のうち、最も作戦級ぽいと言うことで選ばれた。
他にも作戦級のゲームはあったのだが、優先して東部戦線が選ばれてしまうのはその戦線の不動の評価によるものなのだろうか?
と言うわけでまったりした昼下がりの中、雪の残る寒風吹きすさぶ東部戦線で戦うことになった。
ケッセルシュラハト(AtO)
コマンド誌の作戦研究・リプレイ専門マガジンと刊行されたダブルチャージ誌の第一弾に本ゲームの和訳が掲載された。
当時アバンギャルドなコンポーネントデザインに賛否が分かれたが、ゲームのテーマと良い旧習を打破するという意味でATOらしいなあと感心したものでした。
結構人気のあるテーマかと思いきやあまりプレイ報告がなく、モチベーションが上がることなく月日が流れましたが、ようやくプレイする機会に恵まれました。
テーマはコマンド誌付録のウクライナ44と同じフーベ包囲陣を扱います。もちろんこちらの方が先行作品であるので、おそらく参考にされたのかもしれません。
大まかなシステム説明をすると天候決定→航空任務→ソ連軍移動→ソ連軍戦闘→ドイツ軍移動→ドイツ軍戦闘→ドイツ軍機械化移動というもので、ソ連軍に至っては司令部ごとに活性化する体なので、兵力に勝ると行っても2度動けるドイツ軍には間隙だらけとなる。
また特筆に値するのはこのレベルにしては航空作戦、航空ユニットの多さだろう。番外マップで航空機をセクター(管区)ごとに管理する。もちろん包囲されるドイツ軍にとっては航空補給の得られる飛行場のポイントがあるセクターには重点配備されるし、ソ連軍にとっては攻勢をかけたい箇所にに相当する戦区に地上支援を配置するという具合に頭上で展開される航空戦もゲームの重要な要素となっている。
ゲームの展開は司令部の活性化に制限があるソ連軍はドイツ軍を押し込めていった。というよりは必要最小限に時間稼ぎをしつつ下がっていったという方が近い。
常に肩すかしを食らわせ小刻みに反撃しているドイツ軍。
K氏の得意な妙に弱いところに鼻が利く反撃は包囲環が徐々に包囲できないものへと変貌していった。
テルノポリあたりのソ連軍は活性化の巡りが悪いことを良いことにドイツ軍に良いように押し込められてしまった。
爾後にやってくるドイツ軍の救援部隊を考えると気が重たい。
攻撃側のソ連軍としては大きくは進まない。選択する部隊の連携がって言うのもあるし展開がって言うのもある。
航空作戦はアイデア的には良いけど雑にするとプレイが大味になり、緻密にすると時間がかかりちょっと重さを感じた。
やはり先にウクライナ44をプレイしたからかなあ。
また慣れないパーセンテージのCRTはつらく感じた。。攻防比を2:1等で表現せず200パーセント等それぞれの比率の表があり、
練度差とダイス目を交差させるというもので、いつもとは違う慣れない表で戸惑った。
と、言うわけでドイツ軍が粛々と撤収に成功しつつあることと、救援軍が意外に強力でそれを防ぐ術があまりないことからここいらで終わりにすることとした。
太平記(STR/GJ)
思ったより時間がかかったので、他に持参したゲームをプレイする時間がなくなってしまった。
仕方ないので昔からある短時間で終わるゲームをプレイすることにした。
そんな中選ばれたのが懐かしの太平記。
NHKの大河ドラマと同時期にリリースできたという時の勢いが、後押ししたこともあり源平、戦国、幕末しか選択肢がなかった日本史ゲームに鮮やかに切り込んで人気を博した。もちろんキャラクター性や情勢のダイナミズムが魅力だって言うのもあるけど、
後々「太平記」システムと呼ばれる汎用ゲームシステムを世に送り出したというのもある。
そのゲームを久しぶりにプレイしようというのだ!!
リリース時にはそれこそ猿のようにプレイし後藤久美子強ぇ~!!(北畠顕家)とか言っていて嬉々としてプレイしていたが、
最近はトンとプレイしなくなった。
筆者が思うに良いゲームって言うのは購入時に繰り返しプレイを誘うタイプって言うのもいいが、
ある時ふと思い出したようにプレイしたくなるタイプもいいのではって思う。類似のゲームがないというのもあるけど太平記はそんなゲーム。
プレイでは筆者が武家方。行動数の決定ではダイスの目がお互い低く行動数が少ない。
武将達を各地に散らして占領地と武士団を拡充するという手と、準備整っていないうちに蹴散らしておくという二つの方策があると思うけど、今回は後者を選択した。
南畿に突入した部隊は善戦かなわず四散。
2ターン目も行動数2。
3点差で宮方有利。南近畿に突入後山陽へ逃れていた高師泰は宮方の追討を受け討ち死に。
北関東の地で宮方と足利兄弟が激突し、ダイスが走らず大敗北。麾下の上杉憲顕討ち死に。
北近畿のゲリラ部隊として送り込んだ武家側最強の桃井も討ち死に。
さらには支配権の決定においては失敗続出でいきなりいいとこなしの武将方、というか日本全土は武家方が丸腰に。
「じり貧やんけ!!」
と言う筆者の絶叫とともにゲームは終わった。
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