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2012/12/09

11月(2012年)山科会EX その1

 いつもの事ながらTwitterとかのミニブログで割と欲求が満たされてしまってブログ記事を書くまでに至らない。
確かに何か議題であったりを提示するようなネタ的なものは確かにTwitterとかでつぶやいてしまったり、どなたかのツイートに対して返信してしまってそれで満足してしまうことが多いのだという。
 そんな話をウォーゲーマー呑み会で話が出たなあと思い出してしまった。
 Twitterってやつはそれこそ日常の独り言のように書き込んでしまったり、ちょっと考えてから意見を書いたり、はたまたどなたかのネタに対して反応してしまったり、あるいは経過観察のように状態を書き込んだりとしてしまっている。
 最近ではライフログというやつが人気があるというか何というかあって日々の行動をログっちゃう人がいるらしい。もちろんアイデアの断片とか備忘録とかはいいんだけどどうでもいい情報をログるのはどうしたモノか。
 そんな中筆者もログする機能という意味でTwitterプラスそれらをログするアプリを利用しており、それを用いて記事書きに利用していたりする。それを見返すと改めてなんと無駄のことが多いことかと赤面する次第。
 それでも中には有用なことがあったりするので止められないのが現状というモノです。
 さて話を巻き戻すと今回のゲーム会は2つの潮流からが合流した結果この会合が行われることになった。
 一つは山科会そのものがSNS上で開催が協議される少ないゲーム会であること、そしてもう一つはプレーヤーのツイートに対して俺も俺もとなって実際にプレイになったゲーム会でもあることだ。
CARTHAGE(GMT)ヒエロは英雄?ヒーローサンド?
 筆者は以前より激白しているように日本陸軍モノとなると割と入手したいな-と思うコレクター属性がある。こっちは割と見ているだけで満足でユニットとかマップを見てニヤニヤするのが多かったり。それとは逆にプレイしたいなあと思うジャンルが作戦戦術級だったり、古代から鉄砲が出てくるあたりまでの会戦級だったり作戦級だったり戦略級だったりする。もちろんそのほかも興味が無いのかと言ったらそうでは無くぱっと思いつく順番って言うのは(心の序列)そうだったりする。
 以前より雑誌の紹介に出てきていたGMT社のエイシェント・ワールドシリーズなるシリーズが気になっており、購入するか否か非常に悩んだ結果、日本語ルールのフォローは無いだろうという予測から見送っていた。
 月日が経ちあっと言う間にこれらのゲームは絶版となってしまった。そしてそんなゲームの存在を忘れてしまったのだが、以前ワニミ氏とヒストリエ・ロマーナなるゲームをプレイした際にこのゲームの存在を思い出し思わずeBayで入札してしまった。プレイ意欲をあおる追い風のように丁寧な和訳が公開され、思わずTwitterでこぼしてしまったのだ。
 そんなツイートに反応して下さったのはAMIさんだった。同時に山科会の開催がおぼろげに決まっておりプレイするゲームを何にしようかと決めているさなかでもあった。そこへカルタゴが急上昇で入ってきたのだ。
 カルタゴでガヤガヤしているとそこへ噂を聞きつけた岡山のTOROさんが「僕も!」と名乗りを上げ、一人去就が決まっていなかったワニミさんも「興味あるに決まっているではないですか~」と想定内の反応で一気にプレイが決まってしまった。
 手に入れるよから一ヶ月も経たないうちにプレイできるのはネットのおかげだろう。参加に名乗りを上げてくれた皆さんには感謝したい。

 さてプレイは4人戦と言うことで筆者とTOROさんのローマ軍、AMIさんのカルタゴ軍、ワニミさんはシラクサ軍を担当することになった。
 状況的には第一次ポエニ戦争の冒頭にあたり、シチリアで蜂起した傭兵者集団がシラクサに攻められ、それに救援にゆくカルタゴ、ローマという感じ。
 この戦争で初めてローマ軍がイタリア半島外外に出た戦争とのことで歴史の転回点でもあった。
 我らローマ軍はシチリアの地で救援を求める士たちの要望に応えるために一路イタリア半島を南下する。このゲームでは移動力の概念は無くどこまでも敵にぶち当たったり迎撃されたりしない限り自分が行きたいところまで行ける。
 ところが止まったが最後。古代戦にはつきものの消耗というチェックが待っている。エリアごとにあるいは通った経路によって消耗する係数が変化し自らの損耗として適用される。遠路はるばるやってくる遠征軍はそれを織り込んで行動しなければならず、この辺のマネジメントは古代戦ならでは。
 果たして我が軍はメッシーナ海峡を無事に渡ることができるのか。後世のシチリアの戦いではメッシ-ナ海峡はあたかも川のように扱われて渡れてしまう海峡だが古代戦の時期はカルタゴ海軍がウヨウヨいて渡らせてくれそうにも無い。そう言えばこの海峡将来には橋ができるそうでメッシーナ大橋とかそんな名前で呼ばれるらしい。明石大橋みたいで親近感がわく話では無いか。
 さてそれはさておき先行の海軍で海戦ってどんなの?っていうジャブが放たれたが我がローマ海軍は海の藻屑と消えた。カラブリアの地で見ていたわれら執政官は戦慄する。

 とは言えここで止まっていても仕方ないので丸腰で渡海を始める。その前にシラクサ、カルタゴ両軍が先行して移動しており、先んじて傭兵集団マメルティニの籠もるメッシーナに載っかってくる。
 渡海を始めた我らが執政官軍はカルタゴ軍の妨害で全数上陸とはならず1個軍団でメッシーナに合流。
なおこの戦いをあたかもオマハのような敵前上陸戦であったために「血のメッシーナ」と称することとなった。
 合流に失敗して割れたが第1執政官軍は包囲するローマの敵達に対し攻撃を策したが、移動後に行う継続チェックに失敗し敵前で任務完了。
 続けて第2執政官軍も強行渡河し、メッシーナの敵に対して攻撃を開始!ところが城内の味方との連携がうまくいかずに単独攻撃となり会戦に敗北してしまった。
 全軍メッシーナに籠もってのカルタゴ・シラクサ連合軍の攻撃に耐えるもその損耗は以降の戦いに影響を及ぼすものであった。
ローマ軍がメッシーナで手も足も出なくなったところでゲームセット。

 システムの全てでは無いが大部を使用しての初プレイのため理解が足らないところもあったけど本ゲームの魅力を垣間見ることができた。今回はカルタゴが先行してしまったので直線的にメッシーナを攻めてしまってメッシーナにこだわりすぎたたけど、ローマ軍は側背に躍り出て他の都市を攻めてカルタゴ軍を引き離すべきだったねと言うこと等が話し合われた。
 本シナリオの他の方々の視点からのAARはすでに発表されていています。当日行われた他のゲームも含みますが色々な角度から見られるのがウォーゲーマーブロガーがたくさん参加する当会ならではのメリットですね。
AMI氏:山科会2012年11月3日
TORO氏:“そうだ 山科、行こう”(古っ!w)/山科会初参戦!(11/3)

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