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2014/04/12

1月有岡会(2014年)

 昨年の終わり頃より企画進行中の有岡OCSの会、さすがにおうちでさあ練習という禹ほど気軽に広げられるボリュームのゲームではないので、関西OCS普及推進委員のワニミ氏宅で演習を兼ねてのゲーム会が開催されることになっていた。もちろん氏の目的はキャンペーンゲームをするって事だがそれを達成するためには武骨とも言えるOCSシステムを習熟することが先と考えておられた。
 その為に自らの部屋を開放してテーブルをあたかもOCS机としたと言うこともありいつでもどこでも誰でもOCSやりにおいでという環境が作られつつある。
 筆者は昨年に一度練習に伺ったが相変わらずの準備周到至れりつくせりの環境にプレイに没頭できる興奮を味わってしまった。 
 さあ今日は有岡会。今年初めてのゲーム。
とある方が仕事で来られなくなったのでプレイ予定のバルチックギャップからチュニジアと冬の嵐というデジャブー感満載の組み合わせになりました。
 K中さんがお初ということもあってそうなった。
TUNISIA(MMP)Scenario 2: The Battle for Kasserine Pass
 筆者はアルニム役、K中氏はロンメル役。今回は初めてのOCSシステムのプレイとなったK中氏の初参戦を期待しての配役。
 またこれは山科会メインプレーヤー2人のプレイ性格をそのまま盤面の配役に当てはめたものと言っても過言ではない。
 チュニジアの特に春風作戦は放胆にしてコマ捌きにも優れるものがロンメルをやらせてみた方が面白いと考えた。
 筆者は何だかんだと行って前回このシナリオをプレイしているので何となく成否の分水嶺みたいなものが見えてきているが、
「成」の方へと勝敗の天秤を傾ける術を知らない。これは新しい目線で開拓していただいた方がよい。
 さっそく配置する。南東から北西にむけて2本の攻撃路が突進してく格好だ。
 筆者はもはやお馴染みとなったシシブジット前面の米軍を撃破することからゲームが始まる。
しかし史実のように撃破されれば良いが、上手くかわされて逆にK中氏の戦線へと投入されたり、
妙なところでの反撃戦力とならないように戦力は削っておかなければならない。
 と言ってもそれだけにかまけていると前回のように合流できませんでしたとなってしまうのでこの辺の時間の管理は大事。

 ロンメル側に補給物資を吸収されていることもあってこちら側は銭が足りん~!
それでも何とか相手を退出させず更にはこちらから先んじて第21装甲師団主力はカセリーヌあるいはターラを目指して包囲の危険を顧みず突進開始!米第1機甲師団の前衛と衝突開始する。
 シシドブジットには第10装甲師団が現地の敵を一手に引き受けていた。
 一時は在地の米軍の真面目なる反撃に遭遇して「すわ!分断か!」と思われたがこの辺は地力の強い独軍が米軍をはねのけた。

 これでうまくロンメルとアルニムが手をつないで攻勢一本化できる!と思ったら、
何と何とのロンメルの部隊がウェスタンドーサル山脈のフェリアーナ付近でこちらの思っていた方向とは違ってウェスタンドーサルを反時計回り(アルニムと合力)ではなくて時計回り(単独でテベサ直行)という強行突破に打って出た。
「え!そっち!?」
 カッセリーヌ付近は米軍やフランス軍の溜まり場となっていたことに失望を覚えてしまったがこうなったらこちらは独力でターラを目指すしかない。いや、逆に敵を引きつけて助力するのも面白いかもしれない。
 我が第21装甲師団は複数の敵戦闘団の攻撃を受けつつも徐々に前進し、
第10装甲師団は分断の危機にあった第21装甲師団の背後を見事に掃討し、三本目の矢として機能できるようになった。
 しかしそれも全てが遅すぎた。目標をクリアーできない我々には無情にも時間切れオーバーでドイツ軍敗北の結果となった。

Enemy at the Gates(MMP)Scenario 4: The Stalingrad Relief Operation
 チュニジアが終わり、何となくシステム滴なが威力がわかったかなあと言うところでエナミー・アット・ザ・ゲイツの冬の嵐作戦をするため配置した。
 こちらはチュニジアのユニット密度とはワケの違う高密度でそれなりに圧倒される。支給される補給ポイントも中々大量だ。
 こちらはワニミ氏が前回の教訓に鑑みてソ連軍でかなりマジに反撃すると宣言され、
我々は救援軍をK中氏、私が包囲環の中の脱出部隊を受け持った。
 前回のプレイ記憶では包囲環の部隊で包囲部隊をジリジリと削ってやって、隙あらば突破し、
それを埋め合わせる為に補給ポイントを使わざるを得ない状況でソ連軍にプレッシャーをかける。
 残念ながら前回のプレイを鑑みてその対策をうたれてしまった。
 スターリングラードの包囲陣からの脱出は敵のカチューシャ挫かれ、
更にこちらのスターリングラード砲兵補給ルールを使ったストックに優しい砲兵射撃はとてつもない外れ目で攻撃は失敗した。


 包囲環の部隊がそうであるとあとは期待が残るのはやはり解囲軍。
 事もあろうかK中氏の解囲軍も初っ端のオーバーランと第6装甲師団の突進も共に出目にたたられ出鼻を挫かれ、
ソ連軍の大軍に呑まれてしまった。
 ワニミ氏のソ連軍は隙あらば補給物資や司令部を狙ってくるので油断ならない。
しかしシステム上絶対大丈夫の態勢も難しい。
 途中、どうやらいきなり大軍を担当したことから混乱したようだ(いや僕の方が多いんすけど...)。
解囲軍の指揮混乱に鑑みてルーマニア軍をも担当させていただいたが混乱する枢軸軍戦線が復活することはなかった。

Enemy at the Gates(MMP)Scenario 3: The Chir River Battles
 
次はチル河 。対峙する独ソ両軍のチル河河畔の戦い。
 ソ連第5戦車軍の攻勢に第11装甲師団を中心としたドイツ軍が華麗な機動防御で攻勢を方針変更余儀なくさせた有名な戦い。
 そんな史上に名高い戦いを今回はやられ役ソ連軍を筆者が、今マンシュタインの名前を欲しいままに華麗なコマ捌きと攻め口で翻弄するドイツ軍をK中さん氏が担当した。
 我が軍の攻勢と言うことでどのみちケチョンケチョンにやられるなら一暴れしてから一花咲かせますよ。
と言うことで我が軍は目の前にいる弱そうな残余、ルーマニア軍などを狙って大攻勢。ドイツ軍の配置が割と湾曲してたせいもあってあちこちで小突破口が形成された。

 対応に追われるドイツ軍。我がソ連軍はこれでもかと言わんばかりに戦線の薄くなったところ、脆弱な部隊に向けて砲火が放たれた。
ついにドイツ軍両翼に大きな穴が開き始めた。そして右翼より第5機械化軍団がその間隙を縫って補給物資の集積地へと突進しはじめた。
 ドイツ軍にはこれを止める部隊は無い。
 更には左翼より第1戦車軍団が飛び出てきた。このまま放置すると第48装甲軍団司令部が危ない。また中央部のルーマニア軍2個師団、ドイツ軍警戒師団が包囲下に陥ることになる。
 そしてドイツ軍の反撃を抑え補給物資を蹂躙し有力なドイツ軍が補給を得られない(あるいは優先的には回してもらえない)状況に陥った。


 しかしそこはドイツ軍。ソ連軍の反撃など粉砕する力はまだ残されている。
 ドイツ軍は第11装甲師団を突進させ、ソ連軍第5戦車軍司令部を蹂躙し、攻勢そのものを頓挫させてやろうと企図していた。
 攻撃は錐のように鋭くそして奥深く進んだ。オーバーランで次々とソ連軍戦線を食い破りついに司令部の前まで躍り出て乾坤一擲の大勝負に出てきたが、これは結局司令部直轄部隊の堅守に阻まれた。
 ドイツ軍は補給集積地を占拠されっぱなしだったので有力な一隊を送り込んだがこちらは戦力そのものが不足してたので当然失敗し、ソ連軍の勝利となった。

チル河の奇跡がソ連軍に起こった!

 なお、第11装甲師団の攻撃が司令部に向けてでなく、補給物資の集積地に居座る第5機械化軍団に対する攻撃で成功していたならソ連軍の敗北であった。

 今回もワニミさんのご支援でOCSを愉しませて貰った。誠にありがたい話だ。
前との繰り返しになるが、
 近隣の方(隣県)で興味を持たれた方は是非とも表明していただければ幸いである。また、単純に見てみたいなあと考えておられる方でもミドルアースでプレイされることが多いのでそちらに足を運んでいただければその雰囲気だけでも味わうことは簡単に可能だ。

 ぜひ興味ある方はご連絡願いたい。

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