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2016/06/05

5月山科会(2016年)

すっかり更新を忘れていた。前回4月にゲームをし、続けて5月の頭の方にゲームをしていたが、国内旅行とか仕事では上期ピークが5月にあったことから記録を付けるのを忘れていた。

幸い写真に残っているのでプレイ報告としてあげておきたい。なお、Tumblerの方ではプレイと同期とは行かないけど日を置かずにアップしているのでいないと思うけど熱狂的な本ブログファンやウォッチャーはフォローしておいて下さい。

今回プレイできたのは以下の作品

  • THE ROAD TO CHEREN: 1941 East African Campaign(Revolution Games)
  • 信長戦記(GJ)姉川シナリオ

THE ROAD TO CHEREN: 1941 East African Campaign(Revolution Games)

新進気鋭のレヴォリューションゲームズの作品で記憶に新しいところではコマンド誌のガザラ、とセルというユニークなチットプルの作戦級ゲームを出版している所で、同社のラインナップを見ると偏りのない時代配分、しかしピックアップしているテーマがいぶし銀なものが多いのでなかなか通好みの出版社なのかも。

もっとも通好みのテーマって言うのはやっぱり王道雑誌付録としては不安感抜群なのでガザラ、バトルアクス、セルというメジャーどころが選ばれたようだ。今回のTHE ROAD TO CHERENはエチオピアを占拠するイタリア軍に英仏連合軍が進行するという内容で、大戦前のイタリア軍によるエチオピア侵攻のゲームではない。ちなみにイタリア軍のエチオピア侵攻に関してはもう手に入らないが、コマンド誌27号のLion of Ethiopiaは根強い人気があるようなので再販が望まれる。

システム的には増援補充→移動→反応→戦闘→補給→突破の順番で反応は非フェイズプレーヤーが、突破は機動ユニットが移動できる。ZOCは強弱の2種有り、スタック値によって変化する。また戦術上や戦略上の有利がチットで表されて、手持ちチットでボード上に影響を与える。

さてゲームは下名がイタリア軍を担当した。紙氏が英仏連合軍だ。

連合軍は盤端から山地帯に向かって前進し、勝利条件ヘックスの占拠をめざす。ルートは3ルートあってその全てを守ることは難しいので英軍の進行に合わせて適時増援や遅滞戦を行う。

英軍は主力を二手に分けて進軍してきた。有力と思われる一隊は頑強に抵抗し英軍を足止めしている。この抵抗は激しいと考えた紙氏はなかなか進まないのにもう一方の隊に重点を置いて攻撃をしだした。

それにつられて戦線を延翼するイタリア軍。イタリア軍は劣勢なので延翼につられて延翼をしてしまうといつかは破綻する。敵が回り込んで兵力が分散したときに反撃し、敵の戦力減殺を謀りたいがどうもうまく攻撃できない。

英仏連合軍は真正面から攻撃してもまともに守られるだけなので迂回して相手の裏に回り込むべく機動するのが定番とも言えようが、守備隊エリアなるモノが設定されていてそのエリアに侵入するとエリア範囲に貼り付けられている守備隊が活性化したり原住民ユニットが参加したりする。

原住民ユニットは裏切りチェックみたいなものがあって連合軍につくかイタリア軍につくか旗幟鮮明となる。この守備隊エリアは広大で連合軍が目標とする町VPが散在する。もっとも、重要なのはイタリア軍の戦力を分散させて広く得点を得ることが重要なはずなので守備隊エリアに部隊を派遣して対応を強い難所CHERENや高得点なASMARAを奪取できるようになるだろう。

そうこうしていうるうちに、英仏連合軍の増援が背後に到着する。到着して背後を脅かされるとそれこそ防衛戦の破綻となってしまうのでさっと防衛ラインを下げる。

背後に登場する英仏連合軍は絶妙に「背後な」位置に出現するのでハードポイントCHEREN付近で守備し時間を稼ぐ。

しかし守備隊エリアにて侵入してきた連合軍に原住民は嫌な位置で連合軍側に寝返り、守備隊は前面の英仏連合軍、後門の現住民の対応に忙殺された。

そのためCHERENが早期に陥落し主力が軒並み総崩れとなってしまったので在エチオピアイタリア軍は史実同様英仏軍に屈することになった。

信長戦記(GJ)姉川シナリオ

ツクダの戦国合戦級シリーズが絶えて久しいが、戦国戦術級のウォーゲームは次世代のデファクトスタンダードと言うものがまだ出て居らす、まだまだこれから余地のあるジャンルと思うけど、少し前にそのステージに切り込んできた本作品は荒削りながらも雑多な兵種である足軽にレンジの概念を導入したのは見るべき所があったと思う。

大昔に長篠のシナリオをプレイしたまま本作のもう一方の姉川シナリオはプレイせずじまいだったので供養がてらプレイすることにした。

戦術級合戦ゲームでありがちなユニットの前面の規定によって敵に対する側に全面とされる側を向ける。相対する軍がハの字逆ハの字になってしまったので笑みがこぼれる。

果たして戦いは浅井軍と朝倉軍の猛突進から始まった。

史実では浅井軍の突進は織田軍の陣を突き崩し、あと少しで織田信長の本陣まで届こうかと言うときに、同じく大軍朝倉に押されていた徳川勢が起死回生の側面攻撃が奏功して撃破して崩れたのにともなって浅井軍も敗走開始、って思っていたのに肝心の徳川軍が完全に朝倉軍に押し込まれて側面攻撃も失敗し、徳川・織田両軍が押されまくって時間も来たので終了した。

織田徳川軍の反撃は随所に見られたが、それは怒濤の浅井朝倉軍攻撃での小さなエピソードにしかすぎなかった。

今回はこの2ゲームで力尽きた。ケレンはなかなかバランス感覚が要求されるのでややパズルチックな側面があるかもしれないけど歴戦の手練れなら終盤の戦いの為の前哨戦が楽しめることだろう。今回は初プレイだったのでその辺はうまく演出できませんでした。

5月は普段なら企画でゲーム会などする予定だったけど、スケジュール的に合わなくて開催されなかった。6月7月共に未だ不明だけど、機会を見つけて開催したい。

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