6月和泉歴史ゲーム研究会(2016年)
6月3度のウォーゲーム会参加の最後を飾るのは和泉歴史ゲーム研究会。これは以前行くぞ行くぞ詐欺をしてしまったので、お詫び行脚でもある。
と、言うことを横に置いておいても前回の山科会でもまたTwitter上でも触れていたとおり、ゲームジャーナル誌の大坂の陣が非常に気になる作品であるからプレイしてみたいというのがあった。
これは和泉の会でも同じようだったみたいで注目の作品であることに間違いはなかった。
と言うわけで今回は和泉に出陣することにした。
引っ越ししてから直線距離では近くなったが、移動時間は長くなったので開場時間に間に合うのが難しくなってしまった。昼過ぎに到着すると既に会場は対戦で熱気を帯びていて各卓熱い対戦が繰り広げられていた。
今回プレイできたのは以下の作品
- 講談級大坂の陣(GJ59)大坂夏の陣
- 第三帝国すごろく
講談級大坂の陣(GJ59)大坂夏の陣 第1戦
会場に到着すると地元近隣の方を中心に既に数卓のゲームがプレイされていた。その中にはやはりと言うべきか大坂夏の陣も広げられている。先行してプレイしている面々は冬の陣に関してはやはり同じような感想を漏らすものが多かったが、夏の陣に関しては概ね良好な意見が多かった。
さて夏の陣では冬の陣と違いガチ野戦なので雲霞の如く跋扈する徳川方の軍勢を少数精鋭の大坂方が切り裂き切り抜き突貫してゆく。
もっとも目を引くのは徳川方の部隊の多さだろう。もちろん兵力が多いと言うだけで無く指揮官が多い。これは大坂方数チットしかないので徳川方のチットが多く引かれる可能性が多い。ターンは真田隊チットが引かれるまではチットを引き続けられるので引かれるチットが徳川方がほとんどであることが想像できる。もっとも真田幸村のチットが引かれると真田隊のプレイ後にターンが終了するので下手すれば真田隊だけが動き回るという悪夢も考えることができるがその場合は「はっはっはっは」と笑いながらやりなおすがよい。
第一手は和泉方諸将の助言などを勘案した結果、前線の徳川方諸将の大将を狩りつつ敵のチットを減らしこちら側のチットの出方を早めて相手の対応が不完全なままに討ち取ろうという作戦。
もっとも強大な松平越前の隊はできうるなら触れたくないのでスルーして小武将の隊を駆逐して松平越前を迂回して徳川本隊の正面に躍り出てまさしく「真田の隊、日本一の強者」と言わせしめること。
対戦はオオミさんが徳川方、大坂方を筆者が受け持った。
大坂方は大将が真田、毛利、石川と3隊しかないが徳川方はそれの7倍を超えるチット数だ。徳川方は細川、井伊の2隊のみ増援でやってくるが、大坂方は全て増援でやって来るので盤上には徳川方しか存在しない。
序盤は石川隊、、毛利隊の順で巡ってきたので第1線の徳川方の部隊はあっと言う間に瓦解した。真田隊に続いて強力な毛利隊の攻撃はさらに第2陣の徳川勢の切り崩しにかかる。
その側面にまさかの徳川方の細川・井伊隊の増援が現れ毛利隊も突進が止まってしまった。
そこへ満を持して現れたのが真田隊。第2線と増援の防御陣に突っ込み犠牲を払いつつ徳川本隊外縁部に取り付く。そこには小武将などが雲霞のように寄ってたかってくるが、ちぎっては投げ、ちぎっては投げの繰り返しで兵力を減らしながらも3ユニットまで減ってしまった。
広大な戦場にはもはやこの3ユニットを残して戦う者はいない。
しかしここは突っ込んで徳川家康の首級を得るのが本懐。まさしく鬼神のように突進する真田幸村の形相にあまたの者どもも思わず身じろぐ。
ついてきた真田方の部隊も大軍に呑まれ一人幸村がたどり着いた先は床几に腰掛けた徳川家康の姿が!
「家康!いざ尋常に勝負!」
だれもがその世紀の瞬間を固唾を呑んで待ち望んだ。大坂方の夢をのせて翻る一閃!
しかし
しかしその煌めきは空を斬ったのであった。
「うーむイケるかと思ったのだが一太刀しか浴びせることができなかったでござる。」
講談級大坂の陣(GJ59)大坂夏の陣 第2戦
大坂方の夢をのせて閉幕した1戦目はやはり大盛り上がりだった。やはり大阪で大坂方をプレイするとなんか夢を背負っているみたいで楽しいものがある。
第2戦はオオミさんに替わって途中会場にやって来た和泉例会最若手のハツ君とプレイした。もちろん血気盛んなオジサンの相手をするのにはそれなりにサポートアクトが必要なので和泉の方々がサポートをする。
第2戦目は担当は大坂方のまま第1戦目と違ってやり方を変えることにした。1戦目は敵のチットを減らすべく細かく敵の武将を討ち取ってこちらのチットが出やすくすると言う考えで言わば前半は漸進的に進んでいたが、第2戦目はアドバイザーの和泉の面々の意表を突いて長距離浸透策を取った。
これはまさしく図にもあるように左側の真田隊は長駆マップ端から駆け上がり、コーナー近くからパスをあげ、ではなくて松平越前の隊をやり過ごし、脆弱なちびっ子連合の所を蹴破って徳川本隊の側面から突入するというもの。これは真田隊だけでは成立せず、毛利隊石川隊は真田隊と併走して直進して徳川本隊にアプローチをかけ、徳川本隊を逃さないように正面から圧力をかけるというものだ。
これにはメリットがあって、盤端からやって来る徳川方の増援部隊を引きつけて真田隊の行動を容易にすることと徳川軍チットがたくさん有りこれら2から3本の驚異に対し兵力が右往左往することを狙ったものである。仮に真田隊が真面目な抵抗に遭って攻撃に支障が出た場合は並進隊から圧力をかけて踏み込んでゆくというのも考えられた。
この策を取るとざわつく敵側陣営。このコースだと間に合わないのではないかとの意見が聞かれた。
この作戦は相手側がほとんど動いてしまうという欠点もあるが、陣形が崩れたところを狙って真田隊が殺到できるのでそこを狙ってちびっ子軍団(小勢力な武将達)を蹂躙して徳川本体の側面に躍り出た。
諸隊はそれぞれ本隊救援に向かう為あちこち大渋滞で陣形が崩れている。徳川勢の動揺している最中に大坂方の石川隊や毛利隊も出撃を開始した。いわゆる2本目の進行ルートだ。
第1派の石川隊は小勢力と言うこともあって徳川軍の配置の間隙を縫って松平越前の横をすり抜けていったが途中捕捉されて壊滅させられた。
第2派の毛利隊は残余の第2線や細川隊、井伊隊の猛攻を受けているものの着実に前進できている。第1派の石川隊はまあ能力とその戦力を鑑みても早期の壊滅は逃れられなかったが毛利隊が残っていれば徳川本隊に圧力をかけられる。
真田隊と毛利隊の攻撃で二進も三進もいかなくなり前後から包囲攻撃を受け壊滅してゆく徳川本隊、そう言う姿が今まさに完成使用していった。
徳川隊の本体の側面に躍り出た真田隊はそのまま側面に突っ込んでいくと思われたが、直接的に徳川家康への最短路をアプローチするのではなく毛利隊との連携を考えて徳川本隊の背後から襲いかかった。これは真田隊の全てのユニットが効率的にあてられるようにする為だった。
そう思って満を持して攻撃しようとしたときに事態が急変した。大手の大将の毛利勝永が討ち死にしてしまって毛利隊が消失してしまった。これは大きな誤算。2本の矢の1本が折れてしまったのだ。
もはや真田隊独力で力行するしかない。
第1戦目と違い、今度は潤沢な戦力を揃えての攻撃が始まった。徳川本隊はまずは家康が早々に討たれない為に、配置を換えて真田隊が届かないであろう奥地へと送られた。
真田隊が通った後、つまり進撃路には再び徳川方の救援部隊が真田隊を追いかけるように次々と通過した。
我が真田隊は撃ち漏らしたがために喰らった反撃で失われる部隊や四方八方取り囲まれて失われる部隊がだんだんと増えだした。
結論から書くと真田隊は徳川家康に届くことなく逃げ果せられた。
「またしても徳川家康に逃げられたか」
今回は2本の矢の片側が早々に折れてしまったので家康の逃げる場所があったので取り逃がしてしまったが、毛利隊が多少なりとも機能できていればもう少し変わった展開になったと思われる。
しかし実際には毛利隊は壊滅し真田隊単独で家康を追い求めなければならなかった。
幸村が敵の大軍の中を駆け抜ける様は大坂方の夢を見させてくれるに充分な情景だ。マップ上にある赤いユニットは大坂方の夢をのせて駆け巡ると言っても過言ではないだろう。
プレイを終え次はなにしようかと思ったけどもう時間が足りないようなのであちこちをブラブラしてみていた。
そうするとかぶーるさんから以下のゲームに誘われた。
まさかこんなゲームがプレイできようとは。筆者はゼップ親父でポーランドで戦争を終えた模様。
今回も楽しかった。なんと言っても今回は講談級をプレイするぞと宣言して参加したのでプレイできたので満足である。
また機会を見つけて行きプレイしたいものである。
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