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2017/05/15

3月山科会(2017年)

2月にあった倉敷ゲーマーズギーク(KGG)で大いに楽しんだ筆者はさすがに家庭的事情でゲームを一旦中断し、家の用事を優先せざるを得ない状況に陥った。

 

我が家の事情としては趣味に関してはお互い不介入不可侵の方針を貫いているのでお互い無茶なことはしないという暗黙の了解がある。さすがに遠出した月は控えねばならない。

 

さて最近の山科会の発動は会長たる紙氏のゲームしたいときではなく、他のメンバーの依頼が発端となることが多い。よって3人4人の参加が多くなって常態化しているので頻度はさておきよい傾向かなと思う。

 

今回プレイできたのは以下の作品だ。

 
       
  • 甲斐の虎(ツクダ)上田原
  •    
  • 秀吉頂上決戦(GJ26)山崎の戦い
  •    
  • それぞれの関ヶ原(GJ26)
  •    
  • 魏武三国志(GJ20)
 

 

甲斐の虎(ツクダ)上田原

 

ヤフオクでも高値で出品落札されることが多いツクダ戦国合戦シリーズの一作。戦国合戦シリーズは弊ゲーム会でもよくプレイされる激闘関ヶ原と幸村外伝と同じシリーズながらさらに簡単なシステムであるので同じシリーズとは言え別ものだ。

 

本ゲームは野戦にて鉄砲がフォーカスあたる前の時代ということもあり「鉄砲足軽」的な飛び道具は無い。よって射撃フェイズ滴な物は無くて移動→戦闘というシンプルなフェイズ構成となっている。

 

筆者は合戦で敗北した武田側を担当し、モスキート氏が村上側を担当した。

 

一見したところ互角に対峙しているように見えるが実のところ武田側は移動力に劣り、戦闘力もぬきんでて秀でているわけでは無い。

 

配置状況からすると前衛と後衛に別れているので前衛が下手に接敵して崩れてしまわないように側面から回り込まれないように鶴翼の陣を伸ばすことにした。

 

 

側面に回り込めなければ正面同士の押し合いへし合いとなるので村上軍にイニシアチブを取られることも無い。

 

また戸石城に分派して敵の兵力をおびき出す、あるいはあわよくば城を攻め落とそうという別働隊も誂えた。

 

誘き寄せられ戸石城救援に赴く村上軍の分派を見てニヤリとしたが途中で策に気がつかれて分派隊は踵を返し本隊へと戻っていったが、本戦に間に合わないのを確認できた。

 

ここでよこしまな考えが思いついて戸石城を攻め立て落城させようと考えたが残念ながら逆撃にあい貴重な得点を奪われた。

 

まあ、本戦で戦果を挙げられればいいのでまあいいかと流していたが、我が武田軍は敵の第一線を突破して背後にあるいは側面に回り込もうと突進をかけたが一線目は崩せてもその後が続かない後詰め貧乏状態に陥り、せっかく突破した諸将も敵の逆襲に遭うという繰り返しで、結局大きなダメージを与えることはできなかった。

 

結局戸石城攻めでの失点が響いて歴史どおりに武田軍の敗北となってしまった。

 

 

 

 

秀吉頂上決戦(GJ26)山崎の戦い

 

こちらは山崎の合戦を扱うカードドリブン/エリアシステムで再現する。

 

筆者過去にプレイしたことあるがあまりいい印象を持っていなかったのでそれ以降プレイすることは無かった。しかしモスキートさんの熱いプレイしてみたいリクエストに押されてもう一度プレイしてもいいかなと思うようになった。

 

ゲーム会活動をしているとこの辺が面白いところで個人的に今一だなーと思えてももう一度プレイする可能性がある。

 

それは人が違えばであるとかもしかしたらとんでもない思い違いをしていたらなどという事に対する再確認でもある。

 

マップには天王山と淀川に挟まれた隘路が描かれ、明智軍が待ち構えそこへ羽柴軍の大軍が突破を図る。

 

明智軍はモスキート氏が羽柴軍を筆者が担当した。

 

「戦いの天王山」と称されるように天王山を制するものは戦いを制すとの通り本戦いでも重要なエリアとなっている。

 

単純に守りやすいエリアであるだけで無くて隘路部を押し広げて行動のスペースを生み出す。場合によっては側面に回り込むことも可能となる。

 

ゲームの展開も隘路を進む本隊と天王山を目指す別働隊との間で熾烈な争奪戦となり、兵力に勝る羽柴軍が消耗の末エリアで単騎踏ん張ってしまっている形になってしまった明智光秀を討ち取り凱歌をあげた。

 

明智側にえらい補充が出ないねぇと話していたら、やはりテーブルの下に件のカードが落ちており、ああ道理でと言うオチとなってしまった。

 

よい子はカードの管理はしっかりしましょう

 

 

 

 

それぞれの関ヶ原(GJ26)

 

ハーフサイズの関ヶ原と言えば関ヶ原大作戦や入札級関ヶ原という優れたユニークな先行作品が既にあるが、本作はあなたはだあれ系の関ヶ原であるようだ。以前張儀という古代中国戦国時代などの先行となるゲームがあったが、それらと違い本作品はヘックスで合戦を扱う。

 

お互いが両陣営を交互に移動させるので相手がどの武将であるか不明なまま移動させる。もちろん自分が担当する武将が相手に動かされたりするかもしれないので何だか不思議な気分になる。

 

ユニットはこの規模のゲームにありがちな1度戦場に投入されると相手を倒すまでは行動の自由を奪われるので、普通の合戦級のゲームをプレイしている感じになる。

 

ちょっと違うのはお互いが陣営を入れ替えて担当するので贅沢なソロプレイ×2をしているような様になる。

 

最終的にはお互いの正体を明かし得点を勘定し勝敗を決めるのだが何だか普通の合戦級とは違うテイストであった。

 

 

 

 

魏武三国志(GJ20)

 

さらに時間が余ってしまったのでモスキートさんに手持ちのゲームで何かプレイしたいゲームは無いかと尋ねたところ、標題のゲームが出てきた。

 

筆者、三国志はあまりフォローしていないジャンルの為、史実に暗い為ゲームを誘われても断るケースが多いが、本ゲームが赤壁前夜、太平記システムという所でまあプレイでることがわかったのでプレイする事にした。

 

特別なシチュエーションで赤壁の戦い直前の寸前で始まる。筆者は曹操を担当しモスキートさんは反曹操の陣営を担当した。

 

いきなりの赤壁前夜である。筆者の脳裏には連環の計とか羽目ワザにかけられるレッドクリフのシーンが蘇った。

 

しかし盤面には呉と蜀が分散して配置した状況だ。これは集結前に各個撃破するに限る。

 

「砲声に向けて前進しろ」だ。

 

もちろん曹操率いる魏軍は全戦力を持って劉備の軍を叩きのめし、その次の機動で孫権の軍勢を蹴散らした。

 

赤壁の戦いは曹操の圧倒的な勝利で三国鼎立は夢と消えずいぶん早くに統一となってしまった。

 

やはり序盤に赤壁を演出する為に集結は必須であったがそれができなかったのは敗因であったようだ。

 

プレイ後集結できたらで試してみるとそこそこ抗戦ができるのでその見立ては間違っていなかった。

 

 

我々が日本史中国史をヘビーローテーションしている間に別チームはラコックの陰謀と賤ヶ岳戦役がプレイされていた。あいかわらず紙氏がエゲツないとかなんとかかんとか、厳しいなあとか苦悶の声が漏れ聞こえたり聞こえなかったり。

 

ラコックの陰謀はなかなかヘビーローテーションされているみたいですね。筆者はフォローしているゲームでは無いのですが、なかなか熱心にプレイされているみたいです。

 

 

今回も楽しい一日でした。また次回に繋げましょう。

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