てつのくじら館と大和ミュージアム
タイトルにもあるように広島の呉にあるてつのくじら館と大和ミュージアムを見に行った。ツアーなどではなく高速をぶっ飛ばして行ったので、朝の九時半頃に現地へ到着した。
てつのくじら館は正式には海上自衛隊呉史料館で、佐世保と鹿屋にある史料館と併せて海上自衛隊の業績などの広報として広く国民一般の理解の促進にあたる施設とされている。
佐世保は水上艦艇、鹿屋は航空機を展示しており、呉は掃海と潜水艦というジャンルを担当しているとのこと。と、言うわけで潜水艦を展示しているという事もあって「てつのくじら館」となっているわけだ。
呉史料館は入館無料で、説明員(OB)による簡潔明瞭な説明が行われる。その辺が「おきっぱなっし」となりがちなミュージアムの中にあって、説明員が間を察知して説明してくれる。
一階はパネル表示で海上自衛隊の歴史が展示され、まあよくあるようなパネルであるので、こんなものか~と思って2Fにあがるとそこは掃海コーナーとなっている。筆者第二次大
戦の戦史を取り扱うことが多いとはいえ、その後どうなったかという事には目が向けていなかったが、米軍が放った多数の機雷を処理したのは彼らであった。
いきなり機雷の展示があり、一階から上がってきた我々の度肝を抜く。こんなでっかいものが何万発とばらまかれていて、それをほとんど除去し得たことには敬意を表したい。
機雷コーナーには先の湾岸戦争で派遣された掃海艇が遭遇したであろう、ロシア、イタリアなどの機雷やさまざまな機雷の種類が展示されている。信管の展示もありなかなか面白い。
機雷のコーナーは全体的に薄暗く海中の照度を再現しているという事で、薄暗い中でこんなものに遭遇してみると、爆発しないものだとわかっていても気持ちの良いものではない。
この一発で艦船が沈没するだけの爆発力があるとは末恐ろしいものである。
地雷と同じように敷設する側も掃海する側も年々誘導装置の発展とその他隠蔽、探知技術の発展によっていたちごっこのようになっているが、掃海技術は長年の積み重ねと言うことがよくわかる。
掃海の歴史では日本近海の掃海から始まり、朝鮮戦争での協力、湾岸戦争への参加などが語られる。戦後史を語る上でも重要な一項目であるので、各々の紹介はこれから重みを持つものと想像する。
機雷のコーナーを抜けると装備品の展示で、掃海艇上にある各種装備品が展示されている。掃海という地味な兵種を知る上でも見応えのある展示である。
また、本展示中で木製掃海艇について「作り手が無くなった」「掃海艇は数を作れないからFRP等の型をなかなかおこせない」との説明があり、時代の流れというものを痛感した。
掃海の重要性を噛み締めながら、3Fへ上がるとそこは潜水艦の展示コーナーである。自衛艦潜水艦の黎明期から現在までの歴史や装備品の展示が行われている。潜水艦の変遷、教育、生活等々が語られており、潜水艦の模型や装備品の展示とともに充実のコーナーである。掃海のコーナーとうってかわって、体験する展示があり、例えば疑似音によるソナー員体験や、居住スペースの確認などがある。ソナー員体験はクイズ形式で、海中動物の聞き分けや、艦種や大小、エンジンの違いなどを体験させてくれる。どんなものを聞いているのかどのようなものが聞こえているのかよくわからなかったので、今回体験できてよくわかった気になった。
潜水艦の展示物が終わると次は潜水艦「あきしお」の艦内に潜り込むことが出来る。潜水艦は本物の潜水艦で2004年まで海上自衛隊で使われていた潜水艦だ。一応、ゆうしお型7番館SS-579と言うことになっている。全長は76メートル、排水量は2250トンで、魚雷発射管6門を備えた自衛隊初の涙滴型潜水艦の1隻となっている。
見学は説明員とともに入ることが出来るが、発令室は撮影不可となっている。見学コースは船体中腹より空けられた見学用出入り口からトイレ、ハッチ、士官室、艦長室などを通りながら発令所までのやや短いコースで、思っているよりも狭いので、通行には大いに注意を払わなければならなかった。全てが防衛機密や消防法などの絡みもあり、建物としての改修が行われているが、潜水艦を実際に見学できることは非常に面白い。
発令所ではチャート台の向こうにある潜望鏡を使って、港内に浮かぶ自衛艦等を眺めることも出来、映画などで見かけるシーンのように潜望鏡の視界を楽しめる。また、床が一部ガラスになっており、下の階の魚雷を眺めることが出来る。
潜水艦ならではの独特の閉塞感を味わいながら出口に行くと、出口には初代うずしおと
帝国海軍の伊400用の双眼鏡があり、実際に覗くことが出来る。筆者の見た感じでは伊400の方が見やすかったのは意外であった。
続いて大和ミュージアムへ赴いた。こちらは呉の史料館の斜め向かいにある。こちらは呉の史料館と違い大和と帝国海軍と呉鎮守府が主に取り上げられており、大和ミュージアムとはいえ幅広く展示をしている。実際には呉市海事歴史科学館という名前であり、海上自衛隊の史料館と違い市民の博物館である。
入り口や建物の前には戦艦陸奥の主砲や舵が置かれており、過去に嵐山美術館が京都にあった頃に展示されていたものが展示されている。十数年ぶりの再会にも関わらず改めてその大きさと、戦艦というものの巨大さを思い知らされた。
艦内はさまざまなスペースに分けられており、最初は呉鎮守府の設立に至までの特別展示が行われていたので、そちらを見学することにした。とかく海軍というと実戦部隊である軍艦、それも主力艦などに目が向きがちだが、それをバックアップしている支援部隊の事も忘れてはならない。本展示では呉に軍港を設立する紆余曲折が歴史的な史料とともに展示されており、呉の歴史ひいては日本の海軍設立を明らかにしている。
ミュージアムの中央に据えられた巨大な模型は、1/10というサイズでありながらもその巨大な造形に圧倒される。
写真にもあるとおり、人間の大きさと比較していただくとその大きさを体感できるかもしれない。
従来の艦船模型の見せ方は、ケースなどに入れて、特定の方向からしか見られないようになっていたが、本展示物は直上直下以外のかなりの角度をカバーできるようにディスプレイがユニークである。
模型のスケールが大きいという事もあって、精緻かつ素材を変えることにより質感のアップが図られているのか大和の模型という感じよりも大和が小さくなったというような錯覚に陥る。
本ディスプレイの左側(写真では手前側)は海軍と呉の歴史についての展示物があり、右側はその他の海軍兵器の展示となっている。
左側の海軍と呉の歴史は史料、再現模型、写真、映像などと展示されており、今回は多数の学生が詰めかけていたのであまりじっくり見ることは出来なかったが、かなりの量が展示されていた。
展示スペースはミュージアムにあるような薄暗さがあるために荘厳な印象を与えているのに成功しているような気がする。
右側の海軍兵器の展示は特殊潜航艇「海龍」、人間魚雷「回天」、零戦62型等と展示されており、これも過去に嵐山美術館で展示されていたアイテムだが、久しぶりに再会して感無量である。
実は海龍と回天と零戦は3つとも後期型でも珍しいタイプ(形式)であり、嵐山美術館の凄さもさることながら、海上兵器マニアや航空機マニアは一見の価値がある。
本展示場は大型資料展示室となっており、さまざまな角度から見学できるように螺旋状のスロープがある。嵐山の時のようにさわったり近づいたり等という事は出来ないが、展示方法としては感心した。
大和の模型展示や各種兵器の展示で面白いと感じたのは海側の壁がガラスで覆われて、自然の光を採光しているために建物の中の独特の光や、あるいは兵器そのものの発する暗いイメージを払拭しているように感じた。
それにしても昔、嵐山美術館に足繁く通っていた頃は、観光に来られる方は大戦経験者かそもそもそう言うものを愛好する方々が大半を占めていたと思うが、本ミュージアムに関して言えば、そう言う方よりもごく一般の方々が多く見学されていたような気がした。
今までなら学生さんの団体や、幼児連れの若い夫婦などはこういうミリタリー系のミュージアムでは見かけることが少なかったが、時代が変わったのかごくごく普通に見かけることが多くなったように思う。
軍事系のミュージアムが少ない日本で、嵐山美術館閉館以降所蔵品の分散を危惧していたが、公のバックアップを受けたこれらのミュージアムで生きながらえていることに大変安堵した。
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